子どもと弁護士の劇 もがれた翼
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作成日時 : 2005/09/18 22:08
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東京弁護士会・子どもの人権と少年法に関する特別委員会主催、もがれた翼Part12「ひとりぼっち」をみる(於:東京都児童会館)。
もがれた翼≠ヘ子供のさまざまな問題をめぐって、毎年一回上演される、弁護士と高校生たちがともにつくりあげる舞台だそうで、これで十二回目を迎える。俺は去年たまたまみて、なかなか面白かったので、今年もまたみることにしたのだ。主演はみんな弁護士と中高生のようだ。
舞台は、いまから十年後の世界だが、現代の物語とみてさしつかえないだろう。教育改革推進によって学校内での能力差別化がすすみ、憲法九条が改正されようとしているという状況は、来年にも起こってふしぎでない、いまそこにある危機だ。医者の家庭に育った女子高生の主人公は、家でも学校でも抑圧され、自傷行為と過呼吸症状を繰り返すようになり、家出をし、弁護士のすすめでカリヨン子どもセンターに送られる。カリヨン子どもセンターとは、虐待等により逃げ場を失った子供のための駆け込み寺のような、実際にある避難と更正のための施設だ。ここで弁護士や職員たちとのふれあいのおかげで、少女も、両親も、ともに立ち直ってゆく。これが第1部。
第2部はさらに二十年後。やはり家出をし、補導された少女が、カリヨン子どもセンターにゆく。自分なんかこの世にいなくてもいいんだ、と思い、はじめ弁護士になかなか心をひらくことができずにいた少女も、友人の交通事故をきっかけに、自分がひとりぼっちでないことを知り、立ち直ってゆく。劇中はとりわけ劇的に盛りあがる場面はないといってもよく、役者の演技や台本だってうまくはない。舞台装置も簡素なものにすぎず、淡淡と進んでゆくかんじ。でも、それだけにいっそう、現在の社会のさまざまな場から切り離された少年少女の悲しみや苦しみが浮かびあがってくるように思い、なまじよくできたお芝居なんかよりはるかに感動的だ。俺は凶悪犯の厳罰化と死刑制度の充実だけは譲れないが、このように悶え苦しむ子供の自立にじっさい取り組んでいる人達の努力には、頭が下がる。その取り組みの一端として、この劇があり、それは、人が人に率直に感動できることが大切なのだと教えてくれる。それこそが、演劇の原点なのではなかったか。
ギリシャ悲劇とセックスピアだけが崇高なのだという腐った考え方は、もういいかげん捨てようではないか。
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