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zoom RSS 小池百合子は環境ファシストになれるか

<<   作成日時 : 2005/11/02 08:04   >>

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 保守派の人々は、頭が悪い。彼らは伝統的な価値観の衰退について泣き言を言いながら、熱狂的に技術の進歩と経済の成長を支持している。彼らはテクノロジーの急激な進歩には他の面での急激な変化が伴い、そしてこの変化は伝統的な価値観を破壊するということがわからないのだ。
 ――テオドアカジンスキー(ユナボマー)

 われわれはどこへ行こうとしているのだろうか。それを考えるために、マイネッケ『ドイツの悲劇』や田之倉稔『ファシストを演じた人びと』といった本をパラパラめくっている。信長を模倣し、大衆の目を眩ませ、煽動する宰相と、自分が勝ち組だと妄想し、別人格へと変貌分裂し、弱者を叩くネット依存症患者との共犯関係について、演劇的に接近する必要がある。演劇的知とは、元来そのようなものではないのか。周期遅れのポストモダンと派閥争いに毒され堕落しきった演劇批評のおろかしい現状に関しては、いずれあらためて述べる機会もあるだろう。
 ニウスで都会の小さな森を伐採する建築業者と、それに反対する周辺住民を報道していた。こうした反対する人人に対し、環境と人権は両立しない、などとしたり顔でいうウンコ人間も現れることだろう。でもそんなこといったら、人間は常に永遠に相争い、他者を侵害するもので、人権という概念自体が成立できなくなり、共同性は崩壊する。《富という名のもとに、実際に人が欲するものは、本質的には他人を支配する力である。》(ラスキン「この最後の者にも」) 現在の行政には、このような環境破壊への対応が決定的に欠けている。日本がどうせ全体主義社会になるのなら、環境全体主義、エコファシズムを目指したらどうか。自然を保護するためなら人間をどこまでも抑圧する、そんな政権が樹立されれば、俺はそいつを支持するかもしれない。しかし現実には国家と市場は表裏一体で破壊を推し進め、「エコキュート」とかいった口あたりのよい言葉が、「郵政民営化」のように大衆の鼓膜に浸透してゆくだけだ。
 俺が小池百合子を評価できるのは、彼女がテレビ東京出身というところだけだ。もし「レディス4」の柴俊夫や高崎一郎が議員になったら、テレビ東京マニアの俺はうれしさに失神してしまうだろう。だがクールビズとかいって、上着を着ないぐらいで地球生態系の危機に対応できるなどと考えるのは、いかにもインチキ改革派の一味にふさわしい欺瞞だ。小泉はチンポ丸出し、小池はマンコ全開で国会に登場すれば、少しは評価もしようが… これでは環境ファシズムには程遠い。
 強者の利益優先の、容赦なき環境破壊。それに抗する抑圧された側の、環境を守るための破壊手段、エコテロリストがやがて立ちあがるだろうか。ユナボマーと呼ばれた爆弾魔、テオドアカジンスキーのごとくに。エコファシズムとエコテロリズム、いったいどっちがさきに火の手をあげるのか。
 見田宗介が以前、環境破壊を論ずることが社会をエコファシズムに導くのでなく、皆が環境の危機に目をそむけることこそが、やがては環境全体主義をまねきよせる危険を孕むのだ、といったことを書いていた。いかにもこのまま破壊が続けば、暴力による抑止という方法が選ばれるかもしれない。そうなるまえに、真の環境思想を実践すること。そのために、木を切ることに反対する人人の視点、そして切られる木の視点から考えてゆくこと。環境思想とは、そうした意識を伴ったものでなければならないだろう。

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