聖なるブログ 闘いうどんを啜れ

アクセスカウンタ

zoom RSS 笑う沖縄

<<   作成日時 : 2006/02/20 11:56   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 テレビ朝日で小那覇舞天(2/11)、NHKで照屋林助(2/18)と、申し合わせたように、師弟関係にある沖縄の笑芸人ふたりをそれぞれ特集した番組があいついで放送された。俺は小那覇舞天のCDは持っていたが、ロクすっぽ聴いてなく、今回初めてどんな人だか知ったしだいで、お恥ずかしい。照屋林助についても名前しか知らなかった。こんなすばらしい芸の世界に足を踏みいれずにいたなんて、我ながら呆れる。勉強の仕直しだな。

 舞天はかなりのインテリだったらしく、大学の医学部に進学し上京して、浅草で演芸の面白さに目覚め、自分も芝居をはじめ、故郷に帰ってから歯医者を開業しながら舞台に立ち、戦争中も使用を禁じられていた沖縄方言で、ヒットラーや日本兵を笑い飛ばす漫談を演じていたという。林助は父の出稼ぎ先の大阪で生まれ、そこでおのずと話芸を吸収した。敗戦後、林助は笑いをふりまく舞天に惹かれ、つきしたがい、打ち沈む人人の家を連れだって訪れ、命のお祝いとして励まして歩いた。
 舞天は歯医者・芸人としてのみならず、新しい大衆芸能の企画制作にも携わってゆく。林助も悲劇に彩られた琉球芸能の世界を笑いに変え、外来の楽器や旋律を音楽の世界に導入した。林助の舞台は大盛況を治めたが、やがて生きづまり、彼は仲間も家族もほうりだして八重山へ逃避する。そこで出会ったのが、島の唄だった。そこには高尚な「芸術」などはなく、かわりに汗・涙・労働・心・生活があった。彼はそうした唄を持ち帰る。……
 どちらもすばらしい番組だった。戦後60年、いやもっとずっとずうっと長いあいだ、抑圧されつづけてきた辺境の地の悲しみを笑いに変え、芸能を改革し、人人の心を解き放ってきたふたりには感動し、脱帽する。その、土着の活力。それは現在の大衆社会にはびこるいやらしい冷笑とは違ったものだ。草の根で支えられた総理大臣の、あの醜悪なうすら笑いを想う。涙を笑いに変えたとき、沖縄の人人は新たな力を得たはずだ。我我には、いまある笑いを怒りに変える、怒劇こそが必要なのではないか。そして怒りを暴発から引き剥がし、感情を異化する劇もまた必要とされるだろう。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
笑う沖縄 聖なるブログ 闘いうどんを啜れ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる