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zoom RSS 三遊亭円楽とは誰か?

<<   作成日時 : 2009/10/31 08:37   >>

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 映画「さまよう刃」はたいくつで冗長で、なんのカタルシスも得られない愚作だった。原作はもうちょっとマシだと思うが、東野圭吾はそもそもトリックの書き手で、人間やら社会を深く洞察する作家ではないのではないか。

 栃木の仙人氏のブログに、竹中労が「風の会」という勉強会を主宰していたことが書かれている。
 「風の会」というと、野村秋介が選挙活動した政党と同じ名前だ。
 『創』で鈴木邦男が、野村と竹中がそれぞれ選挙で闘おうとしたことを書いている。「風の会」とは、あるいは左右両極に位置したふたりの連帯の証だったのかもしれない。
 竹中労の選挙活動とは、「革自連」のことなのだが、矢崎泰久と中山千夏による実録小説『湿った火薬』では、五木寛之とともに、きわめて異様で滑稽な人物として描かれている。進歩的な著名人を大挙出馬させ保革逆転を図ろうという、竹中が発案し、五木が興味を示した(小説の登場人物はいずれも仮名)新党設立に矢崎とばばこういちがまきこまれ、奮闘するのだが、竹中はそこで、存在自体が不穏として五木から巧妙に排除され、映画製作をちらつかされ、金を渡され嬉嬉としてそっちにくわわり、運動から手を引かされる。五木も状況が悪くなるやさっさと逃げだしてしまい、活動は最初の提案とまったく変質したものとなる。そこへ映画がぽしゃって舞い戻ってきた竹中がえらい剣幕で矢崎とばばにヤクザまがいに凄むのだ。

 ここでの竹中労の役割は、落語協会分裂騒動での三遊亭円楽に似ている。五木寛之は立川談志だ。
 落語に狂っていた少年時代、分裂した三遊協会がなぜすぐ潰れたのか疑問だった。円生・志ん朝・円楽・円鏡と揃っていれば、客だって喜んで聴きにくるだろうに。
 事態がのみこめなかったのは、おいらが読んでいたのがもっぱら談志円楽のブレーンだった川戸貞吉の本だったからかもしれない。自殺した春風亭一柳の本や、末広亭席亭北村銀太郎の聞書きなどつきあわせてゆけば、別の視点がみえてくる。そしてすでに落語に興味を失っていたころ、円丈の決定的な著書『御乱心』を読む。
 おいらが落語愛好者になったきっかけは、NHK「お好み演芸会」での、花の落語家六人衆だったし、川戸がやってたTBSラジオ「早起き名人会」に熱中してたから、談志や円楽には好感を持っていた。けれども円丈の本はすこぶる論理的に、協会分裂の状況を理解させてくれたのだ。ははあ、円楽ってのはこういうヤツだったのか、と。
 境田昭造『怪人噺家十五面相』では、円楽と夢楽の章が圧倒的に面白かったのを憶えている。円楽は一見常識人にみえて、そうとうの変人だったのだ。その面白さが、あまり落語には反映されてなかったように思う。
 そのむかし円楽は、自分が死んだら葬儀委員長は談志、と新聞に書いていた。『御乱心』では円生が死んだとき誰の相談もなしに、いきなり葬儀委員長は私と発言し、遺族を激怒させたとある。今回の葬儀委員長は楽太郎あたりがやるんだろうか。
 ところで円楽は三十年ぐらいまえ、落語雑誌に「私はなぜ落語家になったか」という連載をしていて、これはすごく面白かった記憶があるのだが、単行本化されていないはずだ。目利きの編集者が本にしてくれないものだろうか。

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