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zoom RSS 三田誠広『聖書の謎を解く』

<<   作成日時 : 2015/12/13 10:43   >>

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ちょっとまえに読んだ『原理主義から世界の動きが見える』に、旧約聖書という名称を使わない動きが広がっていると書かれていた。旧約とはあくまでキリスト教典としての呼び名で、同内容のユダヤ聖典を指すのではない。小乗仏教という呼称は差別語なので上座部仏教とか南方仏教とか初期仏教といった言い換えが行われているが、ユダヤ教典にはまだふさわしい日本語の名称があたえられていない。

ようするに、キリスト者である浅見定雄が旧約聖書という語を使うのは間違ってないが、ユダヤ人と自称するイザヤベンダサンが旧約聖書と表記するのは(あるいは山本七平の「翻訳」を黙って見過ごすのは)明らかに間違っているのだ。

俺には一神教が理解できない。いま読んでいる井筒俊彦『イスラーム思想史』に紹介される、「善と悪」「神の意志と人間の意志」をめぐる諸学派の見解は頗る興味深いけれど、神という観念をなくしてしまえばもっとすっきりした議論ができるだろうに、なぜ神の実在を信じなければならないのか、さっぱり判らない。

呉智英は、旧約聖書は創世記の初め部分以外はあまり面白くなく、新約こそ読むべきだと書いている(『読書家の新技術』)。けれども俺にはヨブ記やエレミヤ書やコヘレトの言葉のほうが面白く、今年の初めぐらいに福音書を読んでみたが、なんだかさっぱりわからなかった。しかし現在構想中の評論を書くためには、やはりキリスト教について基礎的なことは最低限知っておく必要がある。そこでまず三田誠広『聖書の謎を解く』を読んでみた。

三田の「謎を解く」シリーズは面白い。物理には無知蒙昧だから『アインシュタインの謎を解く』も面白かった(といって物理学が理解できたわけではないが)。
『般若心経の謎を解く』にそれほど感心しなかったのは、俺がすこし仏教の勉強をしていたからだろう。で、この本もキリスト教に無知な俺にはかなりの良書だった。
三田誠広はおもいきって神という観念を消去してしまう。そのうえで、聖書の記述をていねいに読み込み、イエスキリストの思想への魅力的な解釈を提示する。橋爪某大澤某の本よりずっと読み応えがあり、わかりやすい。

三田はイエスキリストを過激な革命家ととらえており、呉智英も似たことを書いているので、こうした一定の解釈が存在するのだろう。信仰を持つ人は別の解釈をするのではないかと思って、今度は三浦綾子の本を読み始めている。

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