聖なるブログ 闘いうどんを啜れ

アクセスカウンタ

zoom RSS 詩と箴言 方丈記と愚管抄

<<   作成日時 : 2017/01/29 19:59   >>

トラックバック 0 / コメント 0

しばらく世界のさまざまな詩と箴言を紹介してゆきたい。

人間がするところ一切愚劣な中でも、かくも危険な都の市街地に家を営むために財を惜しまず苦心するのは、とくにつまらぬことである。鴨長明「方丈記」(日本国民文学全集7『王朝日記随筆集』佐藤春夫訳)

平安末期から鎌倉のはじめ、戦争・飢餓・疫病・災害・政治腐敗などが人人を襲った。危機の時代、喪失と虚無が漂い、無常を感じ取る。世界の終わり。末法の思想。しかし、そんな時代に、すぐ焼かれ倒壊するにもかかわらず、なお家を建てるという欲望を持つ人は多かったのだろう。欲望は無常観よりも強い。長明はのべる。《たとい住宅を広く営造してみたところで、なんぴとを居住させ得ようか。そもそも人の友人となるものは、富者を尊重し、世話の行き届くのを第一条件とし、必ずしも友情に篤いのや実直な為人を敬愛するわけではない。こんな友人を持とうとするよりはただ、楽器や自然の美を友とするほうがましである。》

長明の同時代人、慈円はかく書きつける。

嫉妬と忿怒と貪欲の三つをおさえ、捨て去るのが仏道修行の究極なのであるが、世も末となった今の世間では、そんな戒めがあるかとさえ思わず、わざわざ嫉妬・忿怒・貪欲を大切なものと思い、少しでも自分には思慮分別があるt思っている人は、人を妬むこと、自分をよしとして他人を非難すること、さらに追従と賄賂などにふけっているのである。こういうことでもっぱら国が保たれているのであるから、きっと災が起こるであろう。それはもう明々白々である。「愚管抄」(日本の名著9『慈円・北畠親房』大隅和雄訳)

現代もまた危機にある。なにより政治家と文化人の腐敗は著しい。もはや隠遁すべき自然も破壊しつくされようとしているのだ。人は仮想空間によりどころを求めるしかないのか。それはさらなる脳の破壊をもたらすのではないか。
しかし現代の「知識人」は危機に耳をふさぎ、否定する。統計を見よ、世界はますます良くなっている、と。たしかに平安末期にくらべ現代日本ははるかに平安だろう。しかし戦争はなくなっていない。世界の悲惨は計量化できるか。都市部での自然は回復しているのかもしれないが、熱帯雨林は減少し、野生動物は棲み処を失いつつある。

楽府とよばれる漢代の歌謡から「烏生」(松枝茂夫編『中国名詩選』より)。文字変換が大変なので、現代語訳のみ記す。「残酷な人間に子供を殺された母親カラスの嘆き。人間だって死は免れがたいのに。」と説明されている。

カラスが八、九羽の子どもを生んで、秦氏の家の木犀の木のあいだに行儀よく並んでとまっていた。
カアカア! 秦氏の家に遊び好きのぐうたら息子がいて、これが睢陽の強弓と蘇合の弾を巧みに使う。左手にその強弓と弾二個を持って、カラスの近くを行ったり来たりしていた。
カアカア! 一発放つや、矢はカラスの体に命中し、カラスは死んで、その魂魄は天に飛んで行った。

カラスの母さんが子を生む時には、なんと終南山のけわしい岩の間で生む。
カアカア! だから人間どもにカラスの子のいる場所がわかるわけはない。何しろそこへ行く路は狭くて奥深く、とても通れるものではないのだから。

白鹿はたとい天子の御猟苑のなかにいても、それでもなお弓使いはこれを射おとして乾肉にすることが出来る。
カアカア! 白鳥は天空にとどくほど高く飛ぶことが出来るが、それでもなお後宮ではこれをつかまえて煮ることが出来る。
鯉はたとい洛水の深い淵のなかにひそんでいても、釣針はなおその口にひっかけることが出来る。
カアカア! 人間どもに生れてそれぞれ寿命というものがある。遅い早いの別はあっても、けっきょく死を免れることは出来ないのだ。

この哀しい歌はカラスの視点から人間の儚さを描きだす。また机以外なら何でも食べるという中華民族によって生態系の危機が引き起こされている状況を撃つものとして、現在では読まれなければならない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
詩と箴言 方丈記と愚管抄 聖なるブログ 闘いうどんを啜れ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる