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zoom RSS 詩と箴言 ジャーヒリーヤ詩

<<   作成日時 : 2017/02/10 14:16   >>

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サタンは、すべての罪ぶかい嘘つきのもとへ降りる。
彼らは聞きいっているが、その多くは嘘つきである。
迷う者は詩人に従う。
汝は、彼らがあらゆる谷間をさまよい歩く様子を見なかったか、
自分では実行もしないことを口にするのを。
――コーラン26章 池田修訳(世界の名著15)

コーランでは、詩人は世迷いごとで人人を煽動する罪深い者とされている。いまでいう御用学者やマスコミと同じにあつかわれているのだ。そのように酷評されるアラブの詩とは、どのようなものだったのだろうか。

杉田英明だったか、平凡社東洋文庫で刊行されたアラビア文学は「カリーラトディムナ」「アラビアンナイト」「マカーマート」の三作品だけだと書いていて、そんなに少ないのか、と驚いた。もっとも、巻数でいえば二十冊近いので分量としては多いのだけれど、さりながら、カリーラとディムナはインド説話パンチャタントラの翻訳だし、アラビアンナイトも井筒俊彦によるとインドとペルシャの物語だということで、生粋のアラブ文学翻訳はやはり少ないといっていいのだろう。
アラブの詩にくらべて、ペルシャの神秘主義詩は日本人に親しみやすいのではないか。俺も岩波文庫のアブー・ヌワース『アラブ飲酒詩選』は読んだが、オマル・ハイヤームとかハーフィズのほうが味わい深いと感じた。イスラム以前のアラブ古詩も読んだが、どうも戦闘の歌ばかりでヘキエキした記憶がある。たとえばこんなぐあい。

ああ、よい血統の人々のむくろがきりさいなまれ、
何と数多く横たわったまま残されたことだろう、
徒ち立ちの合戦や、騎馬の突撃のあとなどに。
まなこをばかっと見ひらき
雨にふくれたゴムの木の皮のような肌など、そんな死骸も多かったろうな。
(大ムラキッシュ「勝ち戦」前嶋信次訳 世界名詩集大成18『東洋』)

フザイルの死 見しときは
野のハイエナは あざわらい
そのしかばねの かたわらに
おおきみのむれ きばをむく
空よりは猛禽 羽ひろげ
地上めがけて 舞いきたり
爪もてむくろ ひき裂きて
あとかたもなく くいつくす
(タアッバタ・シャッラン 牧野信也訳 世界文学大系68『アラビア・ペルシア集』)

内容もさることながら、前嶋信次の訳はほとんど散文だし、牧野信也の七五訳は読みつづけると単調さをまぬがれない(これらの翻訳が原詩の音律をどこまで再現しているのかは知る由もない)。というわけでアラブの詩は敬遠していたのだが、考えを改めたのは井筒俊彦『マホメット』を読んでからだ。これは文芸評論としても超一級の名著なのだ。

井筒俊彦はイスラム以前の、ジャーヒリーヤ(無明・無道)とよばれるアラブ民族の感覚を追求する。彼らにとって、部族という血縁的共同体こそが一切を規定する。さらに、苛酷な沙漠の生活は、彼らの感覚を著しくとぎすます。《イスラーム以前のアラビア人が後世に遺した唯一のもの、これこそ真にアラビア文学と呼ばれて然るべき沙漠の歌は、こうして、ベドウィンたちの峻烈な現実凝視から発した劇しい抒情なのである。》
同じく井筒の『イスラーム思想史』ではこう語られる。《彼らはどのような微細な物でも、その隅々まで眺めずには止まなかった。そしてこういう風に眺められた一々の物は、彼らの著しく感じ易い心に深い感動を与えた。この深い感動は直ちに美しいリズムをもった抒情詩となって表現された。》
『マホメット』に紹介されたラビードの詩。

慈雨を喚ぶ春の星座も定まりて
 野も丘も生々よみがえりと
空高く春雷とどろき、沛然と
 また或時はしめやかに雨ふりそめぬ。

野の草は一斉に芽をふき
 谷のなぞえの彼方には
仔を生む羚羊、
 こなたには雛を育てる駝鳥の姿あり。

つぶら眼の野牛は、
 生まれて間もなき仔の傍らに長々と横わり
あたりには育ちかけたる仔牛ら
 群たち手さまよい歩く。

降る雨脚のはげしさに
 旧き宿りの跡までも洗い出されて
新しく書き直されし文字のごとくに
 水々しくも輝き出でぬ。

このように豊かな自然が謳われているとは驚かされる。しかし、預言者は戦いに明け暮れ、刹那的享楽主義に陥った遊牧民の世界観・人生観を覆す。詩人の否定も、そのためだったのだろう。
小笠原良治『ジャーヒリーヤ詩の世界』によれば、アラビア詩の起源は、当時のキリスト教神官や祈祷師の作る韻文、駱駝を歩行させるための歌(ヒダーウ)、ヒダーウや戦争、その他あらゆる労働に伴う運動にあわせた韻律の繰り返しによる短詩(ラジャズ)という三つの要因があったという。ジャーヒリーヤ詩には即興派と推敲派があった。前者の代表イムルウ・ル・カイスの詩。


うねりくる海の波のような夜は私に試練を課そうと、さまざまの苦悩、不安、悲嘆をともなってそのとばりを下ろす
夜が、すわっている駱駝のように背を伸ばし、過ぎ去ることなく続く時、私はそれに言った
長く重苦しい夜よ、朝の光輝の中に早く消え去っておくれ、とは言え、朝がおまえより良いというわけでもない
あゝ、奇妙な夜よ、おまえの星は固い岩に亜麻の綱で縛りつけられているかのようだ
繰り返す旅、その旅ごとに、私は仲間のために、重い水袋をひもで背にくくりつけて運ぶ驢馬の腹のような空虚な谷間を私は行く、そこでは狼が、子供たちのための食物をあさる者のように吠える
狼が吠えた時私は彼に言った――狼よ、おまえ同様私も何ひとつ持っていない、われわれの問題はともに豊かでないことだ
おまえも私も手に入れたものをすぐに使い尽くしてしまうのだ、おまえも苦難の道を歩んでいる、やせ衰えて
(小笠原前掲書)

「朝がおまえより良いというわけでもない」という句は、イスラムを夜明けと捉えそれ以前を無明とよんだのちの世界をみるとすこぶる興味深く思える。
つぎは戦争の悲惨を歌った推敲派ズヘイルの詩。

いくさは悲し
 そは汝らただ思い知らされ
  辛酸なめつくせしがとおりのこと
   わが話絵空事にはあらずよ

それいくさに火をつける者
 非難の炎に身をさらし
  戦火あおればそのほむら
   いやましに燃えさかる
ひき臼のごといくさ重き苦しみの石もて
 粉々に汝らひきつぶし
  畜生腹つぎつぎに身ごもりては
   世に送るよこしまの双子
げにそは滅亡せし民アードのごと
 不吉のさだめ負いたる子らを
  汝らのもとにつかわし
   乳を与えやがて乳より離れせしむる
いくさが汝らにもたらすこと
 だんじてなし
  かのイラークの地が豊かにも
   産出せるあまたの富を

人々駱駝に草はましめ
 再び力満つれば
  槍、刀、折れ散らばり、流されし血たまりたる
   おぞましき戦いの水辺へと彼らを連れてゆく
むなしや、そこで死闘の果てに
 水辺立ち去り帰る地が
  尽きることない戦いの
   病害に染まりたるかの草はらとは
(小笠原前掲書)

アラブの詩も決して戦いばかり歌っているわけではないとわかる。こうした文学作品をもっと翻訳紹介すべきではないか。
かくして、今日も正義は、私によって守られた。




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