人生に必要なことは死体がみんな教えてくれた

 いい死体写真を見ると、心が奮い立ってくる。
 いい死体写真を見ると、自分がマニアである喜びをつくづく感じてしまう。

 さっきテレビで、決定的瞬間なる番組をやっていた。この番組はもう二十年前からやっていて、むかしは、ビッグモロー事故死の瞬間とか、山海塾転落事故の瞬間とか、飛びこみ選手が板に頭ぶつけて死ぬ瞬間とか、俺達マニアにはたまらない映像の宝庫だったが、このごろはみんな奇跡の生還とか、感動の救出劇とか、ぬるい茶番ばかりが流され、氾濫している。
 わざわざスタントマンやレーサーや凶悪犯が死ななかった映像ばかりを海外から取り寄せ、ほんとうにいい死体映像は闇に葬られ、地下に流れ、高額で取引され、俺達のような金のない平凡な死体好きはそうしたお宝にふれることもできず、ただ悶悶としていろというのか。しかも新世紀になって以後、『世紀末倶楽部』もなくなり、『カラーアトラス法医学』も書店から消え、ますます死体が遠くなりつつある。こんな状況は子供の教育にもいいわけないだろう。
 思えば、死体写真や残酷記録映画を見ることで、俺達は心の豊かさを手に入れ、無常観を知ることができ、生命への畏敬、人間にたいする慈しみのようなものを学んだはずだ。さらにいうなら、犯罪者の処刑記録映像をみることで、正義の大切さと、悪を憎む心も学んだ。死刑も大事だが、死刑執行場面をみることも、情操教育にはとてもたいせつなことなのだ。
 宮崎とかいうハンパな評論家が、どっかで死刑を見世物にしろと書いていた。それじたいは正論なのだが、宮崎は人間には死体を見たがる闇の欲求あるようなことを、あたかも自分に深い人間洞察があるごとくに語っていて、小田晋先生や板倉宏先生の深みにはとうてい及ばない。死体をみるということは、とりもなおさず正義を守ることにつながる。小田晋を法務大臣にして、凶悪犯罪者をバリバリ死刑にして、正義を守らなければならない。
 いまの俺が考えることは、日夜そのことだけだ。


この記事へのコメント

日本沈下
2018年09月15日 08:21
テレビや政治が韓流になって幼児化しています。
死んでいても死んでない、被爆で癌死してもただちに健康に影響ない。

タイ国に死体博物館や、交通事故死を集めた画像雑誌があります。
タイ人は死体を怖がらないけど、ピーという精霊を怖がります。

死体を怖がるのは小学生と迷信深い原始民族ぐらいなものでしょう。
九州東部では魚の干物が唐人干し(中国の水葬が漂着しミイラ化)と呼ばれています。
2018年09月15日 21:56
唐人干しは松本人志のビデオに出てくる頭頭(とうず)のモデルみたいに思えますね。

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