落語における官と民

 民営化推進とか小さな政府とかいういっぽうで、国家への讃美が、さして違和感もなく受けいれられ、わきあがっているのは、どういうことだろうか。小さな政府というならば、自衛隊の民営化も検討されてしかるべきじゃあないのか。民営化に反対する自衛官達が、仮想敵国の工作員と手を組んで反乱を起こすという物語は、けっこう現実的かもしれない。

 笠井潔は、警察の民営化とはすばらしい思いつきだ、といったことを、気色悪い自己陶酔めいた文章で書いていたが、笠井ごときがいわなくとも、先先代の柳家つばめだったかが、「お世辞警察」という新作落語をやっている。たしか川戸貞吉か馬場雅夫かの本に載っていた記憶があるけれど、読み返してみると該当する記述が見当たらず、少少不安を覚えはじめている。私の記憶がたしかならば、警察が民営化されると、犯人の取り調べも待遇がよくなるといった噺だったと思う。
 明治期に、米やら塩やら煙草やら、なんでもかんでも政府の専売にしたことを皮肉った落語が「専売芸者」。初代柳家小せんの吹込み録音は、いまでも復刻されて聴くことができ、内容的にもかなり面白い。八〇年代初頭に、「公営キャバレー」という落語を誰だかがやっていたが、これはあまり面白くなかった。上方噺「ぜんざい公社」は桂小南がよくやっていて、お役所仕事の諷刺として、じゅうぶん聴くに耐えるすぐれた新作といえるだろうが、八〇年代半ばからの、官から民へという流れには遅れているようにみえる。
 快楽亭ブラックの「オマン公社」は、そんな時代を巧みに取り入れていたと思う。俺が聴いたのは村山内閣の頃で、政府財源をどうやりくりするかで、天皇・警察・自衛隊などの民営化が計画され、ボツになり、ついに風俗業の公営化が立案され、オマン公社が設立されるのだ。
 現在の改革とやらも、このていどのことだろう。しょせん民だろうが官だろうが変わりなく、ホリエも小泉も、おなじ糞溜のウンコにすぎないのだ。

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