ラオスの人形劇

 ラオス国立人形劇場公演「まぼろしの森」(於:川崎市国際交流センター)をみる。

 ラオスの民族舞踊団は十数年前にみたことがあるが、人形劇は初めてだ。儀礼のさいに上演される伝統人形劇は、現在のところ遣い手がただひとりになってしまい、保存が努力されているという。今回上演されたのは、仏蘭西で物体劇の影響を受けた主宰インシシェンマイ氏の演出による独自の創作物。俺は高橋秀雄氏(故人となられたそうだ)の風流についての講演と、ヘンリクユルコフスキ氏のオブジェクトシアターに関する講演をたてつづけに聴き、それがきっかけとなって、卒業論文に人形劇を選んだものだから、とりわけ興味深かった。
 東南アジアの人形戯は、宮尾慈良氏がくりかえし述べているように、森に住む精霊への畏敬を表現したものだ。この劇に登場する人形も、そうした精霊を表わしている。それらはヒトガタだけではなく、カエルや虫やヤシの樹の姿をとって現れる。精霊が物体劇の方法で生命を吹きこまれ、甦るのだ。ちいさな椰子の実でできたココナッツ坊主は、まるで教育テレビで放送されていた、オランダ製人形番組「ポペティ」みたいだった。操作法のいくつかにも独特の部分があり、遣い手の身のこなしも充分に訓練されていて、軽やかで美しい。
 とくに注目すべきは素材だ。そのほとんどは椰子の実や葉の芯、その他もろもろの廃品から作られているという。公演を紹介した新聞記事に、ラオスではゴミ問題が深刻だと書かれていたと記憶する(当の記事がなくなってしまったので、不確かだが)。前日にみたタイ映画でも、森の泉にぽんぽんとゴミを投げいれる場面があった。そうした廃棄物を人形に再利用することで、現実の環境問題にも対応し、生命への畏敬という世界観をも表明できる。エコ演劇のすぐれた見本といえるだろう。中国の環境汚染が重大となり、それでもなお中華思想と世界市場化が一体となって邁進し、映画監督はじめすぐれた芸術家たちがその走狗として振舞う昨今、アジアの精神は森の思想を根幹にしなくてはならない。東南アジアの人人から学ぶものは多い。
 会場で、人形劇史研究五号を買う。加納克巳氏の「綱火・花火・人形戯」は労作。滋賀県の水上人形戯の記述は、よく調査発見したものだと感心する。人形花火について俺の乏しい知識を披瀝すると、トルコトプカプ宮殿博物館に所蔵されてる絵に、花火が仕掛けられたハリボテのような大型人形がいくつか描かれている(『イスラム絵画』)。これをみたとき、イスラム圏にもこういう芸能があるのかとびっくりしたが、前嶋信次著作選1『千夜一夜物語と中東文化』には、アルジャザリーという工学者の書にあらわれる、時計仕掛けの人形が紹介されており、当時の時計は、水よって動くものと蝋燭の火によって動くものとがあったらしい。トプカプ宮殿博物館全集、細密画の巻にはジャザリーの書中の時計やからくり人形などが載せられている。世田谷美術館で開催されている、「宮殿とモスクの至宝」の図録によると、人形図像に関して、《多くのイスラム教徒が、このように実用的機能を有し、決して偶像崇拝の対象となりえない器物に何ら意義をもたなかったのは明白である》とあり、いっぽうで《人間を媒介として描かれたいかなる生物表現に対しても、たとえそれがいかに「偶像崇拝」とはかけ離れていようとも、不快感を覚えるイスラム教徒があったことは確かである》と説明されているところをみても、イスラム社会における人形の存在は二面性を持っており、まだまだ研究の余地が多く残されているようだ。

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