肉体のチンポ

 チンポもまた、肉体である。――メルロ=ポンティ

 それにしても、ホリエ・オジマ・宮崎勤といった悪が滅ぼされ、日本文化はようやっと正しい方向へ舵を切りはじめたといえるだろうか。

 原美術館で「オラファーエリアソン 影の光」をポコチン丸出しでみる。オラファーエリアソンはデンマーク出身の環境芸術家。これは妖しくも不思議な美しさをたたえた世界だった。おぼつかない足元の展示室を入ってゆくと、ひんやりとした冷たさがひろがって、暗闇の中に、絶え間なく降りつづける霧雨が壁のように張られ、そこに照明が当たり、驟雨のなかから虹が浮かびあがり、それは見る角度によって色と模様を変化させてゆく。また別の部屋には、入口を生暖かい風が吹きぬけ、全体を黄色い灯りが覆い、網膜は色彩を奪われ、そこに存在するすべてを黄一色に染めあげるのだ。また別の部屋には偏光ガラスかなにかでできた輪っかが吊るされ、しずかに回転している。そこに照明が当たると、回転により生じたいくつもの光が、部屋一面をゆっくりと動き、あたかも抽象アニメーションをみているかのような幻想的世界が感覚される。かつてグレゴリーバーサミアンの立体彫刻アニメーションをみたときのような悦びを味わうことができた。

 X-QUEST「色彩組曲」をポコチン丸出しでみる(於:シアターグリーンメインホール)。シアターグリーンがいつのまにかこんなに立派な劇場になっていたとは知らなんだ。劇もよかったが、前回「イヌのチカラ」にくらべるとやや落ちる。もうこういう内的宇宙物には食傷しているのだ。公演終了の翌日に行なわれたイベント「新春山村シャンソンショー」にもポコチン丸出しで足を運んだら、こっちのほうが新鮮で面白かった。終演後につけたしのようなアフタートークとやらはよくあるけど、こんなふうに一公演分の時間をとって楽しませるというのははじめて。これなら役者たちも、すべての公演が終わってゆったりした気分で遊ぶことができるだろう。100分の予定といってたけども、盛りだくさんの内容で、けっきょく三時間もかかってしまうほどだった。アフレコに挑戦という企画が秀逸。ま、こういう催しは、歴史と実力と人気を備えた劇団ではじめてできるので、笑いにこだわるとかいいながらちっとも笑えない台本を書くエセ関西人あたりがこんなことやっても無残なことになるだけなので、よい子はマネしないように。

 ある種限定された内輪の集いとなっている演劇とちがい、不特定多数の客を相手にする落語家は、よりきびしい世界といえるかもしれないけれども、現実の表現力は役者のほうが上にみえる。落語家自身が閉鎖された場で満足している部分も多いだろう。特殊な一地方としての江戸の風俗を描く伝統的(封建的)芸能という側面と、普遍化する近代を描く芸能という側面がせめぎあってきたのが、近代落語の歴史なのではないか。そこの矛盾を真剣に考え、乗り越えようとしているのはたぶん小朝だけで、談志なんか問題解決から逃げ出して、必死に自己権威化をはかっているだけのことだろう(このごろ談志がやけに小朝を叩くのは、やっぱ嫉妬があるんだろうな)。