劇評24 関西小劇場

2004年、某劇場の観劇モニターに応募したとき書いた文章

この夏、いくつかの関西劇団が東京公演を行なった。以下その感想を述べる。

  クロムモリブデン「ユカイ号」(7/13 王子小劇場)
 この劇団、はじめてみたときは後藤ひろひと全盛期の遊気舎よりやや「アングラ」色をつよめたってかんじだったけど(遊気舎にいた酒井宏人も参加していた)、ここさいきんは娯楽色がつよまって、劇としての完成度もかなり高い。携帯電話が多機能になりすぎて、等身大の人形風にまでなった時代、行方不明になった携帯を探す男たちの物語。けれど失われたなにかをさがしもとめてさすらう男に意味ありげに焦点をあてるのではなく、一日警察署長になったアイドルが担当する誘拐事件の捜査として話をはじめてゆき、ギャグをまじえつつ展開させてゆく設定が、アングラ風味をくわえたエンタメ路線をすすむ劇団のあらたな道への意志のようにみえる。そのうえに愛玩動物、幼女、模型趣味などと携帯を重ねあわせる発想が見事。男優の無気味さと女優の愛らしさが対をなして、おたく、ひきこもり、虐待といった事象が浮かびあがってくる。言語感覚、役者の動き、舞台装置もすばらしい。ただ最後は登場人物のほとんどが殺されて、ちょっとしっちゃかめっちゃかに終わってしまうのがもったいない。こうした暗暗(アングラ)系の名残りみたいにでなく、きちんとした結末をつけて欲しかった。最盛期の遊気舎の、複雑な物語構成、あいまにはさまれる無関係なギャグ・コントによってできたシュールな世界の凄さにはおよばないとしても、クロムモリブデンはいまもっとも面白い劇団といえるだろう。

  売込隊ビーム「13のバチルス」(7/31 駅前劇場)
 ビデオで観たヨーロッパ企画との合同公演「サッカー」には驚いた。まあシベリア少女鉄道というもっと驚異的な先例があるので、もうこの手の、シチエイションパズルコメデーともいうべき流派が現われつつあることに大きな感慨を覚えたわけだ。その劇団がいよいよ東京進出。防菌式地下避難所の見学中に、地上で悪性病原菌が蔓延したらしく、出るに出られず閉じ込められた男女の物語、という三谷幸吉風演劇なのだけど、役者の演技が、小劇場ノリというかアチャラカ的というか、とにかくワザとらしいのが気になってしかたない。役者のせいじゃなく、そういう演出にしているんだろうが、状況物というのはなるたけ写実的に演じたほうが効果あるのではないか。これでは笑える場面も笑えないなあ、といくぶんヘキエキしながらみていたら、じつはただの状況物でなく、終盤にさしかかったところから舞台で突発的事故のようなものが起こり、物語がしだいに分裂し、二重になり、最後には劇の題名さえ変更されてしまうという、シベリア式にあっといわせる仕掛となっているのだが、それだけになおのことこのワザとらし~い、芝居芝居したクサ~い演技が邪魔になるのだ。発想はかなりよかったのに、リアルにやってたらすごい傑作になったかもしれないのにと残念でならない。

  エビス堂大交響楽団「ラジオドッグ」(8/27 中野ザポケット)
 近未来、過去と現在が交錯する構成、仮想現実、少年の物語、等等… まさに基本通りの正統派、王道ってかんじの小劇場演劇。こういうSFならクサイ演技でも気にならない。でも、さすがに仮想現実の内的宇宙物はもういいよ、ってな気にはさせられる。現在日本に氾濫するSFを、半世紀前から書いていたフレドリックブラウンは偉かった(この劇のある部分はブラウンの小説によく似てる)のだと考えつつ、それにしてもこうした内的宇宙物が外部に、現実世界と結びつかずに完結してしまうことに隔靴掻痒のおもいを抱く。劇の最後の方に、少年少女が世界の平和と幸福を願ったために、株式市場が崩壊するという挿話があり、かつての少年少女は現在の少年少女をたしなめる。そこには、現行の経済体制への視点がかいま見えるようでいて見えてこず、現状維持と妥協に回収されてしまうのだ。少年の物語は少年の内部で完結し、かつての少年だった俺達観客は自分の胸の内にいまも眠る少年の物語に安心をあたえられるにすぎない。こんな感想を持ってしまうのは、この劇に笑いが足らなかったからだろうか。

  ヨーロッパ企画「インテル入ってない」(9/4 駅前劇場)
 いちばん最初に観た「ロードランナーズハイ」には、こんな作り方があるのか、と新鮮な感動があった。寮にたむろする大学生達が、新入生の見学をきっかけに、散らかった居間を掃除していく。ほかに出来事めいた何かが起こらないわけでもないのだが、ほとんどこれだけで、ただ学生達の無駄話のやりとりだけで芝居が進んでゆく。その絶妙なボケツッコミ満載の会話は、観客を笑わせるために発せられている、というかんじじゃなく、ほんとうに役者たちの日常会話そのものではないかと思えるほど自然で、こういう雑談的エチウドの組みあわせによって作られているようにみえる。五月蝿い平田オリザ、ボケツッコミのはげしい静かな劇、といったところ。で、今回も、元ロボット開発会社でいまは大手ロボット社の部品製造の下請の工場の工員たちの会話で劇は進行していく。ベルトコンベアなど置いた舞台装置が小さな町工場のふんいきを醸しだす。面白いのは流れ作業でほんとに部品みたいなものを組み立てながら、ウダウダした会話がつづいてくこと。ただし劇としては、ロボット三原則をいかに機械に覚えさせてゆくかの苦心とか、自殺したと思われるロボット開発者の初代社長の謎とか、その娘がなぜか触るだけで機械が壊れてしまい、しかしそれがためにかえって作業が滞りなく進んでしまうふしぎなどが、たんなる挿話で終わってしまっていて、最後のじつは工場全体がひとつのロボットだったというオチとうまくつながっていないのだ。てゆうかこのオチじたいあまり重要でなく、とってつけたようなかんじがしないでもない。

 あと、デス電所「ちょっちゅ念」(6/16 駅前劇場)、鹿殺し「愛卍情」(9/12 こまばアゴラ劇場)は、みなかったことにしておこう。

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