劇評27 劇団ブラジル

某演劇祭の観劇モニターとやらで書いたもの。のちそこで知り合った大学生のブログに掲載(現在は閉鎖)。

モノがしゃべり 肉が飛ぶ
ブラジル「美しい人妻」(12/16 王子小劇場)

安下宿の一室を模した舞台をとりかこんで客席が設置されている。まるで国際プロレスの、今年その幕を閉じた、鶴見青果市場のリングのようだ。
人妻専門店の出張ヘルスを呼ぶ、いわくつきの男。
セックスがらみと、三人組の男のうちひとりがデブだったというだけの理由で、ああ、こりゃアメリカ青春映画の範型だな、とおもった(なわけねえか)ら、関係がいくつもの結ぼれをつくりながら、登場人物すべてが、逃れようのない底なし沼のごとき泥ッ泥の愛憎劇にひきずりこまれ、親友・夫婦・兄妹・親子といった絆さえ、梳くことのできないもつれとなってからまりあってゆく。
それを役者以上に雄弁に語るのが、舞台上に配置され、持ち込まれ、やがて散乱してゆくモノたちだ。
天井から吊りさげられた新巻鮭、手錠、包帯、有刺鉄線を巻きつけたバットは脱出不可能なまでにたがいを拘束する関係の連鎖をおもわせ、吐きだされる血、切り取られた指、使い終えられた避妊具が、しがらみに縛りつけられながらも他者から排除され、決して理解しあえず、共存を拒み、心から愛しあうことのかなわない、微弱な粘着度を持った関係を表象し、臓物のようにひきずりだされ、ときほぐせないほどからまったビデオテープは、愛憎の連鎖の当然の帰結として登場する。
中盤の乱痴気騒ぎでは、屋外にいる探偵と室内の女たちが菓子袋やクッションを投げあうが、終盤の修羅場(とよぶにはややあっけらかんとしている)になると、まさに演者の肉体がモノと化し、狭い舞台を突き破るように、のたうち、投げられ、逃げまどい、転び、ついには約束事として存在していた目に見えない壁ももはやどうでもよくなったかのごとく、客席へと飛び降りる。この領界侵犯が、安全圏で他人事として芝居をみている観客の肉体をも、容赦なく関係の泥沼へひきずりこむほどの迫力をあたえているのだ。
「豊島区東長崎」なる自主映画をめぐる会話もいい。笑いだけの芝居でも見せられそう。

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