劇評29 劇団衛星とか

2004年執筆

  東大駒場のコックピット
 (劇団衛星他 11/3 こまばアゴラ劇場)

 京都の劇団衛星の企画で十日間ぐらい開かれたちょっとした演劇祭。詩の朗読や道化芝居も演じられていた。そのうち一日三公演をみる。
 14:00「劇団衛星のコックピット コンセプト3」 コックピットというのは劇の舞台になる巨大ロボットの操縦室で、舞台・装置・客席つきの移動可能な劇場だ。「演劇なき場所に演劇を出現させる」というのが衛星の理念らしく、京都ではふつうの建物にこのコックピットを組み入れ、上演したそうだ。同じ京都の劇団ヨーロッパ企画の近作「インテル入ってない」も、舞台になってる工場がじつは巨大なロボットだった、という話だった。もし劇場全体が本当にロボットで、じっさい動きだしたらどんなに面白いだろう、と俺は夢想する。劇場自体が人形という人形劇。中部地方に多い山車からくりはそれにちかいけど、観客はやはり外からながめるだけだ。ブラジルの祭りボイブンガにでてくる巨大な山車人形は、昔みたマンガのロボットヒーローみたいなかんじはする。横浜ボートシアターの船劇場はちょっと揺れがあるていどでふつうの劇場と変わりないが、数年前に東京懐古旅団が貸切の走る都電のなかで芝居をしたことがあった。でもはるかむかし、都電の花電車をみたことがあって、いまおもうと俺にとっちゃそっちのほうがより演劇的だったな……等等考えながら「コンセプト3」をみていたらべつだん面白くもならずに終わってしまった。いちおう三部作だから、ぜんぶみればいろいろわかってくるのかもしれないけど、他もみたい、という衝動は起きなかった。したがってここでは中身についてふれない。演劇が作品として完結する時代はもう終わっている、といったようなことを主宰の蓮行は書いていて、それにはまったく同感する。長長した挨拶文はともかく、悪趣味なチラシの図案はすばらしいし、観念に溺れた愚にもつかない前衛よりかははるかに彼らのやろうとしていることのほうに共感できそうだ。でも作品がつまらなかったら話にならないだろう。場所がふつうに劇場だから、衛星の理念は半減されてしまったのだろうか。別の場所だったら、違った印象を受けた可能性もある。観客を乗せたまま動きだす劇場。そして新しい演劇。リチャードシェクナー『パフォーマンス研究』には、観客を巻きこむテーマパークの演技空間について触れられていたが、再現でなく行動・体感を観客にあたえる劇はどのように可能だろうか。もっともそんな体験がしたいならゲームセンターや遊園地に行ったほうがいいかもしれない。そこにも演劇は生きている。つまり演劇文化は劇場文化とは違い、もっと広い領域で存在しているのだ。
 ひとつとばして、19:30 Ele-C@のコックピット「降水確率 猫」。紗幕にうつしだされた文字が、演者の手の動きにあやつられた蝶のように舞い、演題となってならぶ。このはじまりはとてもカッコいい。劇団名は「電気心電図を意味するエレクトロカーディオグラムの略」と紹介文にある。「決してデジタルでは語れない人のアナログな心を、デジタルな空間の中で表現していこうとするチーム」だという。それ読んでダムタイプみたいな実験劇を想像したけど、ふつうにお芝居だった。とある建物の屋上で姉弟となって暮らしている、猫・犬・ネズミの物語。決して動物を模倣するのではない演技は好感が持てる。でも「どうしようもない日常とおバカな会話」でひっぱる前半部分は、どうにも苦しい。俺は動物が好きで、うちでも犬・猫・ウサギを飼っていることもあって、終わりぎわの抒情的場面はとても感動的なのだが、作者のハガジュンコは笑いは得意でないのだろう。無理に笑いをとろうとしない、もっと純粋に詩的な作品をみてみたい気がする。役者としての芳賀淳子も魅力的だった。
 戻って16:30ベビーピーのコックピット「鈍色ナンセンス」。京都の劇団に所属する男四人のユニット。じつはまったく期待していなかったら、一番面白かった。自分達がビートルズだと思いこんでる四人組の不思議な日日。マネージャーのブライアンからのFAXによって録音や取材、写真撮影などの仕事がぞくぞくと入ってくるが、彼らは楽器もできず、いまのところデビューもしていない。それなのに偽者が街に出没する(それはビーチボーイズやローリングストーンズだったのだ)。やがて彼らは、自分たちがビートルズではないのではないかと疑いはじめる。解散の危機に陥った彼らをボブディランが救う。彼らはふたたびビートルズとして一日を終え、明日に生きるのだ。ナンセンスと銘打たれているけども、彼らの生活は俺達とまったく無縁で無意味な世界ではないことに気づくだろう。蓮行が長長と自作解説する「コンセプト」よりももっと簡潔で直接的に、俺達をいやおうなしに支配する共同幻想というものの質が炙りだされるのだ。それでいて理屈抜きに楽しめる、不条理劇の超傑作といってもいい。もうちょっと時間をのばして、もう一回演ってもらいたいぐらいだ。

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