劇評17 宝塚歌劇団

これもたしか知人のHPに発表したもの

あの、日比谷は宝塚劇場前の路上を不法占拠する謎の集団をみるたびに、劇場の内部では、婚期を逃し男を憎むようになった邪教徒たちが、性差を奪われた女教祖をあがめ、闇と光の交錯するなか、叫び、咽せび泣き、恍惚となり失神してゆくような、おそるべき熱狂的な秘儀が執りおこなわれているのだろうといつも勝手におもっていた。
だが、このたび雪組公演「春麗の淡き光に」「Joyful!!」をみ(4/29 東京宝塚劇場)、はじめて宝塚歌劇にふれた俺は、上記の判断を修正せざるを得ず、おもわずドゥビドゥバ~と喝采をおくらずにはいられなかったのだ。場内の雰囲気もごくふつう。いやそれでも開演前までは、解説書に載ってる、この世のものとはおもわれない化粧を施した出演者の写真をながめながら、この子たちも素顔はけっこう可愛いのだろうな、とはいえこんな写真みて(贔屓の人たちは)嬉しいのだろうか? と噴出する疑問を抑えることができずにいた。やがて開演時刻。五分押十分押はあたりまえの小劇場とちがって、定時に開演してくれるからさすが商業演劇はきっちりしてる。
最初の演目、歌劇「春麗の淡き光に」がはじまる。「さ~くらさくら 宝塚」と歌声にのって、春爛漫の舞台に扇を手にしたおおぜいの娘たち若衆たちが登場し、舞う。おお、これはかぶきおどり、と俺はつぶやく。ちょうど四百年前、出雲のお国はこんなふうに男装し、華麗に舞ったのではないか。宝塚歌劇はまさに、かぶきおどりの芸能力を現代に蘇らせたものではなかったか。群舞が終わると、舞台は平安時代、藤原北家の全盛期。貴族の邸で、ゆったりと舞楽が演じられている。そこへ都を騒がす盗賊、朱天童子の襲来が告げられ、柱に矢が突きたてられる。じつは朱天童子の正体は零落した貴族、藤原保輔だった。彼は藤原北家による専制を正し、閉塞した状況を変革すべく、貧しいものたちを率いて戦う義賊にして革命家というかたちであらわれる。以下の物語の紹介は省くが、ここで貴族から盗賊へ変化するという保輔の逆転性と二面性が、江戸初期の閉塞状況に生じた出雲のお国のかぶきおどりにおける逆転性・二面性につうじ(詳しくはステージカオス四号の拙文「踊る信長」を参照されたい)、その民衆の潜在的芸能力が現在の宝塚歌劇の逆転性・二面性へとつながってゆくことをみておきたい。この保輔の弱きを扶け強き挫く義賊ぶりはまた、国定忠治の物語にも通じている。つまりは大衆演劇の王道をゆく物語なのだ。さまざまな芸能がこの舞台には流れこんでいる。冒頭の若衆おどりから宮廷舞楽、そして盗賊一味が踊る猿楽といったふうに。だから洋楽の伴奏で日舞を演ずる異種交配性は宝塚自体をかたちづくる民衆芸能の異種交配性に由来しているのだろう。
それはもうひとつの演目「Joyful!!」によくあらわれている。モーツアルトにフラメンコ、ジャズ、ラテン音楽にカーニバル風の踊りがつぎつぎと奏され、そのたび照明が舞台から客席を駆けめぐり、目と耳を悦ばす。これぞハイブリッドレビュー。豪気だ。衣裳も金金、髪も金。男役はみんな少年隊の東山みたいで誰が誰やらわからんが、大地真央や天海祐希も、こんなカッコして歌い踊ってたのか。脚線美の波がうねって舞台を横切る。でもそこには性を強調する要素が微塵もみられない。性差はのりこえられ、ただ歌と踊り、音楽だけが存在する(芸道とはじつはそうしたものだ)。
こうなったら劇場外で待ちかまえているあの見物たちも、演劇を野外へと解放してゆく民衆的芸能力のあらわれとして存在しているのかもしれない、といったらいいすぎだろうか。

 付記 それまで宝塚だけはなんとなく避けていたのだが、劇場勤務(当時)の人と知り合ったので、招待してもらった。その人の同僚がこの文章を読んで、思わず「こんな感想、はじめてだ…」とつぶやいたのだとか。



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