劇評19 ダメじゃん小出ほか

2003年、知人のHPに掲載したもの

ダメじゃん小出をはじめにみたのは毎年四月に横浜で開催されている野毛大道芸で、そのときは牛飼い小出と牛君という名でコンビを組んでいた。曲芸はまあふつうの出来だけど、あいまあいまにボソボソつぶやかれる小ネタが面白く、終わってからご祝儀をいくら渡したかも記憶にないほどだ、というか渡さなかったのかもしれない。そんな小出がいつしか時事ネタ一人コントを演じはじめているときいては、やはりみないわけにゆくまい、とソロライブ「負け犬の遠吠え」(6/14 銀座小劇場)に足を運ぶ。いや面白かったのなんの。大道芸でも石原慎太郎の物真似など演ってたけど、サミットのニュース映像でのブッシュやブレアの演説にあわせてのアテレコ、父・正日の言動に苦悩する正男の相談にのって居丈高に諭すみのもんた、往年の九十九一を思いださせるニュースネタ(大相撲の取組が秀逸)等等。ダメじゃん小出は今後もっとも注目すべき芸人だ。もはや俺達は、モロ師岡や楠美津香の一人コントなど、みるひつようもないだろう。ただよっぽど熱心にニュースやワイドショーを(つまりはテレビを)みていないと理解できない部分が多いのが難点。テアトルデュタン「夕鶴」(6/15 シアタートラム)は、パリ在住の日本人が主宰・演出する劇団で、仏人俳優の女形がおつうを演ずるのだという。そうなると、これはやはりみないわけにゆくまい。主宰の伏屋順仁は日本で狂言やダンスを学び、渡仏して無言劇や俳優術を学んだとのこと。すばらしく様式的で格調高い舞台が創出されていた。雪深い人里に、女優二人が白い衣を纏い、背を向けてかがんでいる。それは雪だるまで、くるりとこちらをむくと、掌が子供になって「よひょう、よひょう」と呼びかける。おつう役はとくにそうだったけど、役者たちの声のやわらかさが観る者の心にしみとおる。仏人おやまは、山本安英のごとくにかげろうのようなはかなさをただよわせ、哀切をしぼりだす。おつうがくるしみながら鶴へと戻る場面は、パブロワの「瀕死の白鳥」や玉三郎の「鷺娘」をおもわせ、ゆびさきでつくる鶴が大空へ羽ばたいて去ってゆくさまはマルソー風。これほどうつくしい舞台にはそうお目にかかることはないのだけれど、宣伝不足か空席が目立っていたのが悲しいかぎり。新内仲三郎と越中おわら風の盆との競演は、数年前にいちどきいて、その艶のある声のつづれおりに、「これぞ日本音楽の粋」と感動したものだが、このふたつの音楽の出会いがさらにひとつの劇を生んだ、ときいたら、これはやはり、みないわけにゆくまい。「風のなごり」(6/22 新橋演舞場)は、オペラやミュージカルとちがった日本独自の音楽劇の可能性を夢みる俺の希望を、きっとかなえてくれることだろう。すでに前年にみた森口博子主演「とげぬき音楽隊」(芸術座)のように、かなりすぐれた音楽劇があらわれている。東京五輪を数年後にひかえていたころ、裕福な生まれで、新内語りとしても将来を有望視されていた風間杜夫演ずる主人公は、零落し、芸能マネージャーとなって、さらに借金取りから逃げるため、匠ひびき扮する踊り子と、はてしのないドサ廻りをつづけている。ながれついた富山県八尾の地で、かつて恋仲だった胡弓弾き(多岐川裕美)とめぐりあう。主役があまりにだらしない男なので、哀しく切ない物語になりそこねている、といった劇評が新聞に載ってて、鋭い指摘ではあるのだけれど、俺は大谷羊太郎の初期の芸能界を舞台にした謎解き小説が好きなものだから、この設定はこれであり。むしろこれによって、新内と風の盆、その両者に割ってはいり成長をとげる新しいアメリカ音楽という関係が明るみにでるのではないか。この劇の主役は、あくまで音楽。登場人物達も、音楽の精と考えるべきだろう。最後に演じられる、仲三郎と風の盆との競演がやはりすばらしい。男と女のつかのまの出会いと別れのように、二つの音楽もまた、ほんのひとときだけめぐりあうのだ。前年は横浜能楽堂で秀吉のころの「卒塔婆小町」を復元上演する企画があった。安土桃山という、黄金の日日の時代の芸能にはつい心惹きよせられてしまう。「信長公御所望の南蛮音楽と踊り」(6/27 キリスト品川教会)は、信長だったらきっと聴きたがったろうという選択で同時代のヨオロッパ音楽と舞踊を上演、とくれば、これはやはりみないわけにゆくまい。クラッシックバレエ以前の宮廷舞踊の復元。教会の座席からだと踊りはかなりみづらいが、当時の日本でも切支丹たちはこんなかんじで上演してたのか? こうした古典芸能はヨオロッパではすでに絶滅してしまっているのだろうけど、同時代の日本芸能が、まだ各地で伝承されているということは、きわめてきょうみぶかい。なんだかダーウィン進化論と今西棲みわけ説の根が、ここにあるかのようにおもわれてしまう。西洋中心の演劇史観など、俺達はもう捨ててしまっていいのではないか。つぎなる試みとして、西洋古楽と、能狂言・幸若舞・風流踊り・綾子舞との競演が望まれる。「踊る信長」と題して、野村万之丞(もうすぐ万蔵)に企画・演出してもらいたい。

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