小ネタ集:私は宇宙文学者だった!

ツイッター転載の小ネタ集

10月8日 《たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きくまちがっても群れのなかで論をのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくらまちがった発言をしても、あとで検証されることはない。これが日本の言論界です。》孫崎享『戦後史の正体』

10月10日 某書店の検索機で「死海写本」を調べてみたら、「社会資本」の関連書ばっかりでてきて困った。

10月13日 映画「るろうに剣心」に須藤元気が出ていたので思い出したが、彼がK1MAXにではじめたころ、渋谷で通り魔に刺されて、格闘家が護身できなかったのかと思ったが、じつは刺されていたことにも気づかなかったんだとか。どんな鍛え方だよ!
それでさらに思い出したのが、ジョージ秋山の『アレキサンダー南無』という格闘漫画で、主人公の南無が滝に打たれているとき、弟子が上から落とした小石が南無の頭に当たるのだけど、まったく気がつかず、あとで話を聞いて「私だから避けられたのだ」という場面。

10月17日 泥鰌にはドヂヤウ、ドヂヨウ、ドツヲ、ドヂヲ、ドジヤウ、ドジヨウ、ドゼウなど、昔からいろいろな表記があるが、『大言海』はドヂヨウとする。泥津魚(ドロツヲ)の訛りと考へたのである。ドロツヲは泥の魚の意。(略)ドゼウは江戸期のいい加減な仮名づかひにすぎない。丸谷才一『男ごころ』より

10月17日 井筒俊彦の『意識と本質』は掛け値なしの名著だが、自然観が欠落している。ここに『中世の文学』以降の唐木順三の仕事を接続すれば、新たな詩論が構想できるのではないか。

10月19日 ヘレンケラーに「ポコチン」という言葉を教えようと、みずからの逸物をその手に握らせたら、「奇跡の人」と称賛されただろうか。

10月20日 中村とうようの名著『大衆音楽の真実』に、バリ島研究で有名な人類学者《Geertzを中村雄二郎はギアーツ、矢野暢はギアツと表記する》とし、とうよう自身はギーアツと書いているのだが、亜米利加人のロビン・ギルは『反日本人論』(これも名著)でゲールツと表記している。
フローベールもフロベールとかフローベルと表記する人が稀にいるし、ムージルもムジールと書かれることがある。同じ名前でも小説家はフョードル、格闘家はヒョードルになったりするわけだ。しかしフョーなんて発音が日本語にあるだろうか? 何が言いたいかというと、外来語の表記はべつに原語の発音にムリヤリあわせる必要はないじゃん、てこと。

10月31日 丸谷才一の追悼コメントを蓮実重彦に求める者がいないように、藤本義一の追悼コメントを松本人志に頼むマスコミはないのか?

11月25日 いまは福田恒存より金田一京助のほうに魅力を感じる。国語表記の問題と無文字社会の言語研究との関連は、どのようなものだったのだろう。また戦後文芸評論でいえば、安吾「堕落論」より荒正人『第二の青春・負け犬』のほうがはるかに重要ではないだろうか。

11月30日 「われわれは物理学者、幾何学者、化学者、天文学者、詩人、音楽家、画家をもっている。われわれはもはや市民をもっていない。あるいは、いまなお市民が残っているとしても、捨てて顧みられないわれわれの田園に散らばって、彼らはそこで貧窮のうちに、さげすまれて死んでゆく。」ルソー

12月6日 文学者にとって自然とは何だったか、を比較考察してみたら面白いのではないか。唐木順三・野間宏・吉本隆明・大江健三郎・柄谷行人にとっての「自然」。

12月6日 かつて笠井潔は、蓮実重彦の文体を、不能者が勃たないポコチンをまさぐりつづけているようだ、と形容していたと記憶するが、蓮実をバカよばわりしたのは、立花隆と福田和也ぐらいかな?

1月24日 俺は暴力(体罰)教員は容赦なく処刑すべきと思うものだが、映画「先生を流産させる会」を観ると、学校という異常な空間で暴力的な児童や保護者に囲い込まれた教員一個人の抵抗手段としての暴力は認められて然るべきではないかと思ったりする。
戸塚ヨットスクールなるものは、手に負えない非行少年に対する懲罰装置というべきものだろうが、戸塚自身が教育・医療行為だと思い込んでしまったことが問題なのだ。あそこで死んだ少年は非行者ではなく、体が弱く体を鍛えようとした者のはずだ。
かつて朝までテレビで小田晋はこの問題を指摘したが、反論されるといきなり「僕は戸塚さんに対して検察官の役割を果たしたくない」とか「僕は戸塚さんを尊敬してます」などと言って逃走してしまった。だがこの問題は重要だ。戸塚ヨットスクールは教育・医療ではなく、あくまで暴力機関なのだ。
ただしそのような暴力機関に放り込まなければ致し方ない児童がいるというのも事実だろう。もっと露骨に言ってしまえば、戸塚ヨットスクールは非行少年の処刑施設なのだと開き直ってしまえばよいのだ。そのかわり、「私が直す」などとは絶対言ってはならない。「私が殺す」と言うべきなのだ。

2月7日 もしも池〇大作先生が日本を立て直すためクーデターを立案したら、その計画は「大作大作戦」と呼ばれるのだろうか?

2月7日 准教授なる呼称がもたらす弊害は、たとえばレツゴーという名字の人が准教授になったばあい、「レツゴー准教授」と呼ばれたとき、まるでレツゴー三匹のじゅんが教授になったかのような誤解を世間一般にあたえることにあるのではないか。助教授ならそんな心配はなかったはずだ。

2月9日 変な人がかかる頭痛は変頭痛、普通の人がかかる頭痛は普通頭痛。

2月14日 もはや世界の文学をことごとく読み尽くした私は、とうとう世界文学を超えた、宇宙文学の境地に到達した。私の脳内で受信される、金星人や木星人、あるいはポリュクテテス星人の紡ぐすばらしい文学は、地球の文学では味わえない豊潤さに満ち溢れている。

2月18日 「ダイハード」と「ベンハー」を組み合わせた「ダイベン・ハー」という壮大なスペクタクル映画を思いついた。君達のすてきな脚本を募集している。俺は待ってるぜ!

3月6日 幕末の三周:加勢大周・新加勢大周・周富徳

3月12日 太陽はじゅうぶんに照らして/やがて暮れていく/だけどここから見えないだけで/他のものをまだずっと照らしてる (内田眞由美)

3月14日 ゾロアスター教では、動物の虐待を禁じ、荒地を灌漑して種子をまくことを勧める。海や川を汚染する者を罰し、樹を枯らすのは悪魔の仕業と考える。このような宗教を説いたゾロアスターは、古代にあってまれなる動物愛護者であり、エコロジストであったと言えよう。岡田明憲『ゾロアスターの神秘思想』

3月22日 堺雅人が東京オレンジという劇団にいたことと、黒田夏子が『累成体明寂』という小説を刊行してることは、なぜかあまり語られない。

3月24日 野田が搗き 晋三が捏ねし売国餅 坐りしままに食うは亜米利加

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