進歩的御用学者の世界観

金魚水槽がもう一月半ほど水漏れなんだけど、補修用セメダインを何度塗り込んでも水が漏れてくる。どうすればいいの?

 8月11日東京新聞本音のコラムには、山口二郎が「戦後は終わらない」と題する文章を寄せているが、これはひどい内容だった。
 ほんとなら俺だって、拝金エセ愛国者といった呆守どもをこそ滅ぼさなければならないとは思う。しかしそうした心情を超えて山口発言は低劣だ。この男も滅ぼさなければならない。
 増税推進論者山口二郎は去年の同じコラムで、野田佳彦が大嫌いだとのべながらも、もしいま野田をひきずりおろせば、そのあと最悪の総理大臣が誕生するだけだと、愚にもつかない論法で野田を擁護していた。山口が予測していた首相が安倍晋三なのか橋下徹や石原慎太郎なのか小沢一郎なのかは知らないが、仮に安倍のことを言っていたとしても山口の主張が正しかったとはとうてい思えない。自民を復権させたのも民主を失墜させたのも、野田が想像以上のキチガイだったからにほかならない。
 そんな山口がほどなく同コラムにて、集団的自衛権をめぐる解釈をみてもう野田は許せない、とブチ切れていたけれども、もはや滑稽としか映らなかった。この御用学者にとっては、国民生活より左翼イデオロギーのほうが大事なんだな、と呆れるほかなかった。この問題がきのうのコラムにつながってゆく。

 山口はなんと書いているか。めんどうだが引用してみよう。

 (前段略)憲法九条は、戦争及び敗戦の記憶と表裏一体である。また、侵略戦争を起こし、連合国に打ちのめされた日本が戦後の国際社会に入るための資格証でもある。戦後は終わっていない。米国も中国も第二次世界大戦の勝利国という立場は共通である。今の中国が民主主義国とは言い難いが、歴史的に見れば、これらの国々は第二次世界大戦において民主主義がファシズムを打倒したという物語を固守し、それを修正することは許されない。(以下略)

 これは本音というより建前論とよぶにふさわしい主張だ。第二次大戦が民主主義対ファシズムの闘いだったという公式見解に固執すれば、それ以前の歴史がみえなくなる。日本の侵略は悪だったが、西洋の植民地主義はアジアを専制主義から解放したのだ、という左翼イデオロギーは、日本の聖戦主義の裏返しでしかない。朝まで生テレビ的な議論が左翼の建前を否定することで右翼の本音を肯定してしまった、と二十年ほど前に浅田彰はするどく指摘したが、右翼の本音を否定するためにも左翼の建前を叩かなければならない。山口の論法でゆくと、沖縄の米軍基地もまた日本が戦後の国際社会に入るための資格証ということになってしまう。
 俺は改憲絶対否定論者ではないが、理念としての戦争放棄は正しいと思っているし、その理想に現実を近づける努力が必要だと思う(だからいま改憲の必要を認めない)。しかし山口の護憲論の根にある「民主主義がファシズムを打倒した」なんて物語は「勝てば官軍」的発想でしかなく、もっといえば「ほら、ここに正義があるんだよ」という宗教的発想でしかない。
 だいたい、山口は「社会主義対自由主義」という冷戦の物語はどう読み解くのか? スターリン体制下のソビエトも戦勝国として認めるのか? そもそも大戦後に内戦を経て誕生した中華人民共和国ははたして戦勝国なのか?
 ナチスのもとでのユダヤ人はたしかに被害者だったろう。しかしイスラエル建国後まで被害者史観を延長することはできない。戦後ユダヤ人は加害者になり、いまでも暴虐をふるっている。一部の日本の左翼がガス室の存在を疑問視するのは、ナチスを肯定する歴史修正主義だからではなく、世界資本主義を操る闇の支配者をあぶりだそうと願っているからではないのか。
 民主主義対ファシズムという史観で歴史はみえまい。日本を悪とみなし西洋を免罪する左翼の建前も、西洋もやってるから日本に罪はないという右翼の本音ものりこえなければ、戦後を読み解くことなどできない。物語は無数にある。ひとつの物語に固執することなくそれらを吟味することが、歴史を学ぶということではないか。山口のような進歩的御用学者が「民主党が圧制自民を打倒した」という物語に固執し、民主の悪をぎりぎりまで見逃したため、日本は大混乱に陥ったのではなかったか。こんどはその愚を戦後史にまで応用するつもりか。
 ええかげんに、滋賀県。

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