小ネタ集「あまちゃん」のこととか

twitter転載の小ネタ集です

2月19日 それにしても国政選挙で不正が行われているというのに、原発の国民投票を求める反原発派が理解できない。

3月6日 チャベス大統領は安倍晋三などよりはるかに偉大な人物だったが、五流以下の指導者・野田佳彦が登場してからの日本は連合赤軍化してるとしかいいようがない。原発・増税・TPP・不正選挙を批判するとたちまち総括要求され、激しい攻撃を受けたのち処刑される。まともな保守がいないからこうなったんだ。

3月19日 去年の増税騒ぎいらい、大手マスコミは権力批判をしなくなり、TPPはむろんのこと、いつのまにか東京五輪招致も手放しで礼賛するようになった。前回はまだ批判もあったというのに。だいたい「安倍蚤糞」とかいっても景気が良くなった実感なんてまったくないぞ。

4月6日 野田内閣が増税成立政権だったなら、安倍内閣はTPP参加政権だろう。それまでは支持率を捏造してでも、マスコミの安倍応援キャンペーンはつづけられるわけだ。

4月6日 大江健三郎を執拗に批判した、『文筆生活の方法』の論旨を一貫させるために、本多勝一はもはや体制御用新聞と化した朝日新聞社から出してる自著のいっさいを引き上げるべきではないのか。

4月10日 因幡の白兎の行為は、ウサギ詐欺とよぶのだろうか?

4月30日 『知の逆転』によると、チョムスキーは現代で最も重要な知識人なのだそうだが、「むかしチョムスキーという人がいました」とか発言して田中克彦を呆れさせたのがファシズメ大三郎センセ。ファシズメセンセにとっちゃ、チョムスキーより小室直樹のほうが重要なんだろうな。

5月24日 AKB総選挙とかいって大大的に不正やってるから、自民党が調子づいて不正選挙に走るのだ。

5月27日 小平市住民投票不成立:日本には市民が3割しかいない。7割は愚民。こんな社会で民主主義が成り立つわけがない。もう日本は堕ちるところまで堕ちないとダメなのかもしれない。アホな若者の将来などにかまってられない。

5月27日 辰巳正明『歌垣』、吉田敏浩『北ビルマ、いのちの根をたずねて』読了。中国南部の少数民族も、北ビルマの少数民族も、おなじ伝統文化圏にありながら、異民族に支配されているのだ。少数民族文化の視点から、中華思想や近代文明を解体すること。

6月10日 ボブサップ『野獣の怒り』なる本があったのでパラパラ立ち読み。谷川貞治の不誠実さはいまにはじまったことではないが、ミルコ藤田の反則試合とか、さらに衝撃的だったのは、K1選手のあまりに悲惨な現状。マイクベルナルドは自殺、マイケルマクドナルドは統合失調症、ゲーリーグッドリッジは認知症、アレクセイイグナショフはアルコール中毒、ガオグライゲーンノラシンは乞食同然の生活を送っているという。

6月15日 ウンコ味のウンコかカレー味のカレーか、という苛酷な二者選択において、ためらうことなくウンコ味のウンコを選び取る私は、やはり変態なのだろうか。

6月18日 詩経の成立をめぐる白川静と松本雅明の対立は非常に興味深い。どちらが正しいとか間違っているとかいうのではなく、両者の思索をうまく結合すれば、詩の発生・起原に関する考えを進めることができたのではないか。

6月20日 anazon注文確認とかいうメールが届いていて、あやうく開封するところだった。

6月23日 小南一郎『詩経』が半年もまえに刊行されてたの迂闊にも今日知った。白川静・松本雅明の対立もふれられているが、赤塚忠・家井真・牧角悦子など二松学舎系の詩経研究は採りあげられていないようだ。

6月23日 これからは「市民VS愚民」「生活者VS仮想現実者」という対立軸で社会を構想してゆかなければ日本は破滅してしまうのではないか。インチキなサブカルおたく評論家もどきに騙されてはいけない。

6月27日 小南一郎は孔子詩論について、論語の詩経理解よりも《漢代に経典化されたあとの詩経理解に近い》と書いているが、徐送迎は《詩を政治理念や儒教思想の説教道具とする傾向が見られない》(『東アジア文化圏と詩経』)とのべる。どちらが正しいのか、孔子詩論が日本語で読めないかぎり解決できない。

6月28日 震災・原発事故のあと、日本人のなかにせっかく芽生えた援けあいの心が、野田佳彦という官僚いいなり無能総理が登場したため潰され、日本は狂気と化したのではないか。政治家が狂い、機密費をたっぷり貰ったマスコミが狂い、大衆が狂い、不正選挙によって健全な市民まで無力感に苛まれている。

6月28日 増税・TPP・原発・改憲・公共事業・米軍基地・被災者救済等等争点はあまたあるのに、投票したい政党がないとか、投票しないことを誇らしげに語る連中があらわれたのはおぞましいことではないか。ほんとうにこんな連中が国民の半分を占めているのだろうか?

7月2日 表現と作者をまったく切り離して考えたくはないが、それでも、人格最低の人間の芸術表現を享受し感動する可能性はある。しかしそれはおそらくその人間を直接知らない場合であって、最低の人格だということを身を持って知っていたとすると、どのような作品であれ拒絶が先に立つのではないか。

7月8日 さっき届いた迷惑メール
「美姫です。私の子供の父親になってくれませんか?」

7月14日 愚民調査では、「安倍政権の経済政策を評価する」と「景気が良くなった実感がない」がともに多数、「増税反対」と「自民党支持」がともに多数。この異常なねじれを解消させるには、自民党を大敗させ、インチキマスコミを撲滅させるしかない。

7月19日 「あまちゃん」を、主人公がAKBみたいなグループに入ったころから、観るともなしに観てるけど、現在の文化の母親というべき80年代に向き合う気恥ずかしさを痛烈に感じる。小泉今日子をKYON2と表記していた時代の恥ずかしさ。
 ケラリーノ・サンドロヴィッチの劇に「1979」てのがあって、80年代誕生前夜と90年代半ばを繋いだ物語で、そこそこ面白いというていどの芝居でしかなかったけれども、「新しさ」という価値観ばかりが突出してくる時代の雰囲気が捉えられていたのか。俺は子供だったからよくわからんのだが。
 のちブルースカイが書いた「1989」という劇も上演されたはずで、この時代ならやや知ってるけれど、芝居を見なかったからどういうものかはわからん。ケラの笑いの感覚は他を圧し群を抜いているけど、そこにわざと80年代的な泥臭さ(笑えなさ)をまぜこんでいるように思う。
 80年代の笑いへの違和感についてはかつてブログにも書いたが、とうじの漫画のシュールギャグとか、蛭子能収みたいな超越的例外は別として、ほんとうにつまらなかった。ああした表現が洗練されて、笑えるようになるには吉田戦車の登場を待たねばならなかった。『伝染るんです。』の笑いがわからなかった呉智英は『コージ苑』を最先端のギャグと評価していたが、相原コージはベタな下ネタを得意とするどちらかといえば古風な感性だった。
 「あまちゃん」に戻ると、あれは「バットマン」のように有名芸能人がこんな役で出てるというのを楽しむドラマにみえる。むしろ「古畑任三郎」に近いかもしれない。「古畑」の直系が「ガリレオ」だから、「あまちゃん」と「ガリレオ」はそれほど遠くない親戚じゃないかしら。

7月20日 指原のオタクなんてそんなにいないだろうに、選挙のときだけ大量に湧いて出る。市民生活を破壊する自民党に投票する連中もおなじように、選挙のときだけ現れる得体のしれない幽霊市民なんじゃないのか。まさに不正のさきはう国よ!

7月22日 小学生の時分、ポコチンのことをポールちゃんと書いてある本をみて、このふにゃふにゃした物体がなぜポールちゃんとよばれなきゃならないのか、不思議でたまらなかった。
 そんな、性行為のことなど何も知らなかった私も、山口百恵が「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と歌うのを聴いて、一番大切なものというのがオマンコであることだけはなぜだか直感していたのだ。

8月7日 『創』最新号で矢崎泰久は、竹中労が二重スパイだったと発言してる。無党派市民運動に関わりながら共産党に情報漏らしてしてたんだとか。矢崎の『小説革自連 湿った火薬』はメチャクチャ面白かったけど、この件は触れられてなかったな。

8月7日 日経「私の履歴書」で野村萬が、父万蔵と弟の三宅藤九郎とのあいだに葛藤があったとのべている。萬はやがて自身と弟万作との葛藤も告白してくれるのだろうか。早逝した長男耕介のことも気にかかる。
 山口昌男はかつてあるシンポジウムで、萬と万作の争いのほうが和泉元彌一族より重大な問題だと語っていた、と思うのだけど、なにしろ山口はそのときもうロレツがまわらなくて、何を言ってるのかはっきりわからなかったのだ。

8月14日 工藤隆『中国少数民族と日本文化』は、文章がこなれてなくて下手なんだけども、かなりの好著。とくに[神話の現場の八段階]という図式から学ぶところは多かろう。

8月22日 松本雅明『詩経諸篇の成立に関する研究』は大著労作だが読みづらい。同じ著者の『詩経国風篇の研究』はその主張を一般向けにわかりやすく要約した好著。こういう本をこそ、文庫化すべきなのだ。

8月22日 竹内敏晴論って誰かが書いてるんだろうけど読んだことない。竹内はグロトフスキみたいに舞台芸術家として名声を得てから演劇を捨てたわけではないぶん、正当に評価されてないと思う。身体化された演技を完全に生活に溶かしこんだことが彼の功績だろう。見田宗介が本格的な竹内論を書けばよいのだ。

8月22日 週刊文春によると安倍晋三は、「増税できなければわれわれは腹を切る」と言った財務官僚に、「ここで切腹しろ」と切り返したとか。これが本当(あるいは本心)ならば安倍もひとかどの人物なのだが、昨今の週刊誌記事は捏造だらけで信用できないんだよねぇ。

8月24日 日曜美術館で藤城清治の影絵みた。いつみても美しい。やっぱ俺にとっては宮崎駿よか藤城清治のほうがはるかに偉大な存在なのだ。ケロヨンのDVDを買ってしまおうかな。
 詩情をたたえた芸術家である藤城清治にくらべると、川尻泰司なぞはそもそもプロパガンダ目的で人形劇をはじめたから、戦後は教育劇にむかい、やがては人形劇を子供が見るものにしてしまったんじゃないか。川尻の功罪を見極めることが、現代日本人形劇界にもっとも必要なのではないか。

8月25日 谷川健一も亡くなったか。この人の南島文学論と、工藤隆や辰巳正明の歌垣論を接続させた文学論を構築しなければならない。

8月26日 むかしヤクルトのピッチャーだった井本隆は引退後に出した本で、監督の土橋正幸から嫌われ抜いていたことを記したが、選手と監督の確執を暴いたノンフィクションは面白いんじゃないか。江夏豊と吉田義男、田淵幸一と広岡達朗、中畑清と王貞治、落合博満と星野仙一、野茂英雄と鈴木啓示、とか。
 そういえば、広岡達朗は『意識革命のすすめ』で、ニューヨークの裏通りなら川上哲治を殺してもわかるまいと思った、とあまりにも率直に告白していた。それにしても土井淳が生きてるうちに誰か徹底取材して、評伝を出してくれないものか。

8月30日 野村萬はとうとう万作のことは語らなかった。萬は大河ドラマ「翔ぶが如く」で月照を演じて、じつに味のある芝居をみせていた。古田新太や佐々木蔵之介や堺雅人にしても、リアリズムとまるでかけはなれた舞台をやってた人がテレビドラマで達者な演技をみせてると、役者ってすごいなとつくづく思う。

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