中野剛志『保守とは何だろうか』

狂人のみが、壁を修繕するのに必要な土を採るために、家の土台を掘り崩したり、爆破したするのです。――コールリッジ

インチキ保守・拝金保守・珍保的文化人といわれる愚にもつかない「呆守」どもが日本を滅ぼそうとしている。思想のない、金儲けしか頭にない、いまだに共産主義を攻撃するしか能のない連中だ。社会の根幹を破壊しながら、愛国心をふりかざす奴らをみると、もはや愛国は売国奴の砦になっていると思わずにはいられない。その正体は「保守」のフリをした新自由主義者だ。
情けないことに、そういう奴らは俺と同世代に多い。
そんなおり、表題の本を見つけた。コールリッジの社会経済思想を取りあげているという。

コールリッジについては知識がなく、著作も詩作も読んだことなかった。けど去年、T・S・エリオットのことを調べたおり、由良君美のエリオット批判文に、コールリッジの経済思想が紹介され、エリオットの伝統論はコールリッジからの請売りでしかない、と書かれていて、そこに紹介された文章は、まるで現在の新自由主義批判に思え、轟いた。ほとんどTPP批判といえる内容なのだ。で、つい最近、英文学者で文芸評論家の武田将明さんに薦められた『文学的自叙伝』をちょこっとだけ読んでみたばかりだったのだ。

同時代人のカーライルもやはり現在に通じる経済批判を書いている。
以下参照「森永卓郎はカーライルの生まれ変わりだった!」
http://oudon.at.webry.info/200705/article_1.html

中野剛志は本書で、まず「保守」と「革新」の捩れ、というところから、保守派の自己矛盾、保守ならざる新自由主義との奇妙な結託を描きだす。日本ではあたりまえのように保守派は新自由主義に流れ込んで疑問を感じないようだが、英国の伝統精神からみれば保守と新自由主義はまったく別物だ、と著者は明快に論ずる。そして保守主義と整合的な経済思想を唱えた人物として、コールリッジに光を当てる。現在の保守が抱える問題と最初に格闘したのがコールリッジだったという。その言説を手がかりに、新自由主義経済に覆われた社会を健全化させなければならない。

19世紀イギリスの経済状況がいかに日本に酷似しているか。コールリッジの処方箋はいまでも有効だ。中野はコールリッジだけでなく、カールポラニーや、ポラニーが評価するロバートオウエンについても好意的に取り上げている。左翼思想を否定するしか能のない自称「保守」ではない。その主張は、政治経済音痴の私にもわかりやすく書かれている。
保守には守るべき価値がある。自己利益しか考えない新自由主義とは違う。ネオリベ・ネトウヨこそ諸悪の根源なのだ。

著者は自分と同世代といっていいのだけれど、やっと日本にまっとうな保守論客があらわれたと感動。ひたすら左翼の悪口と金儲けのことしか頭にない連中とは比較にならない。このような元官僚が存在するのは心強い。
中島岳志にも共感できる部分はあるのだが、この人、西部に逢うては西部を持ち上げ、柄谷に逢うては柄谷を持ち上げ、宮台に逢うては宮台を持ち上げ、若松英輔や大澤信亮にまで媚を売り、小林よしのりから批判されても正面から答えず「対談しましょう」とやってるとこが好きになれない。たんに節操なく世渡り上手なだけじゃんか。

ひとつ疑問は、じゃあ新自由主義がはびこる以前の保守はまともだったのか、ということ。自民党に代表される日本の保守派は、けっきょく経済成長しか、国土をコンクリートで固めることしか考えてなかったのではないか。英国には保守の伝統があるとしても、日本は近代と前近代が切り離されている。福田恒存の苦闘は、日本の伝統を断ち切り、西洋を伝統ごと移植しようとしたことだろう。その点で俺は、福田より唐木順三を日本の真の保守主義者と評価する。日本の保守と革新のねじれは、幕末に攘夷派が思想的総括をせずいきなり開国に転じたことからはじまったのではないか。おそらく西郷隆盛は、その矛盾をみずから背負ったからこそ死ななければならなかったのだ。

コールリッジ・カーライル・ラスキン・モリスとロマン派の社会経済思想をながめると、いつのまにか保守主義が社会主義になっている。ここらも調べると面白いかもしれない。コールリッジははじめフランス革命に共感していたが、恐怖政治に幻滅し、急進主義に懐疑的になったという。これにロマン派のエコロジー思想を加えれば、新しい思想の創出も可能なのではないかと想像する。ロマン主義は思想的に、ポストモダンよりはるかに重要なのではないだろうか。

かくして、今日も正義は、コールリッジによって守られた。

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