「セデック・バレ」と先住民に関する雑談

DVDで台湾映画「セデックバレ」を鑑賞。生蕃とよばれた台湾先住民が日本支配に反抗した霧社事件を題材にした作品。

意外だったが、日本人がそれほど悪辣に描かれていない。むしろ先住民のほうが好戦的で、部族同士で反目し、殺し合い、首を刈りあい、日本人とみれば女子供さえ容赦なく虐殺する野蛮な民族のように描かれている。
アマゾンやニューギニアなどでも、原住民は殺し合いにあけくれているようだが、これは戦争によって人口調節し、社会を拡大させず、文明や国家の形成を阻み、環境を維持するための装置になっているとの説もある。
とはいえ、戦闘場面は素晴らしい。風のように樹海の中をたくみに動きまわり、どこからともなくあらわれ、日本軍を翻弄し、薙ぎ倒してゆくスピード感には圧倒される。
はじめのうち優勢に思われた蕃人たちも、敵対する部族を日本側につけられ、形勢逆転され、飛行機からの機銃掃射、毒ガス・焼夷弾などで攻めたてられ、しだいに追い詰められ、全滅する。現実の事件ゆえに、アクション大作として観るにはあまりに重く悲しい。

現在、漢民族と台湾先住民との関係はどうなっているのだろうか。アジアの多様性を認め、共生の文化を形成しなければならない。そのためには、自然とともに生きる先住民から学ばなければならない。

以下は雑談
ここんとこしばらく、岩田慶治の著作を読んでいた。その芳醇な味わいともいうべき思想と文章は、学生時代から愛読していたが、東南アジアの先住民族の儀礼や生活が、いま書いてる評論に必要なのだ。初期の著書はお堅い調査研究だったのが意外といえば意外。その思索はどんどんと深みを増してゆくのだが、俺としては早い時期の『カミの誕生』がもっともいい。先住民のこころが、いちばんはっきり描きだされているように思える。諸星大二郎『孔子暗黒伝』にも影響をあたえているとわかる。

高橋徹『帰去来の思想』を読んでいたら、やはり岩田慶治の本が紹介されているとともに、東南アジアとつらなる中国少数民族の苗族について記されており、陶淵明も苗族だったと推測され、桃花源も自然とともに生きる少数民族の生活を描いたとされている。《苗族はインドシナ半島ではメオ族とよばれ、ベトナムではホー・チミンの抵抗組織に、ラオスではアメリカCIAの指揮下にあって、メオ族特殊部隊をつくっていた》とのこと。いろんなかたちで政治利用されていたらしい。ここで思い出すのは小栗虫太郎の「完全犯罪」だ。
もちろん探偵小説なのだが、そこにあらわれるのは雲南の苗族共産軍(正式名称は中華ソヴェート共和国西域正規軍)という、シナ全土で唯一の規律ある兵団。探偵役はその指揮官であるロシア人。
《どこからこんな素材を手に入れたかまったく判らぬ舞台》と塔晶夫(中井英夫)ものべる。花田清輝は《反革命の波が世界中で荒れ狂っていた当時、ぬけぬけと、かれは、赤軍の指導者の科学的な洞察力を讃美しているのです》と指摘していたが、そのじつ、虫太郎は共産主義を嫌っていたと子息が証言しているのだから、ますますわからない。

去年読んだ本でスチーブンミズン『歌うネアンデルタール』とならんで刺激的だった書物がデビッドルイスウィリアムズ『洞窟のなかの心』だが、そこにはヴィルヘルム・イヌマエル・ブレークというドイツの言語学者が登場する。
じつはこの人、ブッシュマン関連の本をみるとたいていその名がでてくる。19世紀末に刊行され、大正時代末に翻訳されてるグローセ(グロッセ)『芸術の始源』にも登場するのだけど、はっきりしたことはわからなかった。
この名前を最初に知ったのは、学生時分に読んだ、平凡社ででてる現代人の思想15、山口昌男編集・解説による『未開と文明』に収録されたバンデルポスト「狩猟民の心」(山本和平訳)なのだが、まぎらわしいことに、そこでは同じ文中に、このブレークといっしょに、ウィリアムブレイクがなんの注意書きもなくブレークの表記で登場しているのだ。だから俺はてっきり詩人のブレイクはブッシュマンと関わりがあったと思い込んでいたのだ。その後出たヴァン・デル・ポスト選集の秋山さと子訳ではたしか言語学者のほうはブリークと表記していたはずだ。

これで終わりとなります。

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