進化論を進化させたい

ももちん
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さて、三年かかった大仕事が終わった。やはり主題を決めて体系的集中的に本を読んだほうが頭に入りやすいのだが、しばらくはのんびりと読書をしよう。

昨秋からちょっと進化論に興味を持っているので、そっち系の本を読んでいる。まず吉村仁『強いものは生き残れない』「環境から考える新しい進化論」と副題されている。弱肉強食の進化論ではない、共生の思想だ。
ここで著者ののべることは、しごくまっとうな見解と思われる。以下の引用は進化論とは関係ないのだが、賛同できる意見だ。

《「いままでに巨額の費用を投じて、もう少しで完成するのだから、完成させなければ損である」というロジックは、まったくのインチキである。なぜなら、収益最大化の観点からすると、続行すれば赤字を増価させるものは、すでにどれだけ費用をかけていようとも、さらに投資すれば、赤字をより大きくするだけだ。つまり、即刻中止するのが赤字を減らすもっとも最適な選択肢である。過去に使った費用は将来の最適化には無関係なのだ。》
《正直者の協力で文明が発展する。文明が繁栄すると、生活に余裕がでてくる。そして、自己利益の追求がしやすくなる。もちろん、トップの権力者である王は贅沢の限りを尽くすが、一般庶民も余裕があるので、各々のレベルで個人利益の追求に走る。王朝の勃興期には、社会の全員が国や民族のために利他行動をとっていたのに、ある程度繁栄してくると、自分の楽しみを追求した利己行動へとスイッチしていく。集団内では利己者の利益が高いので、徐々に利他者が減っていく。そして、文明が爛熟したときには、ほとんどすべてが利己者となり、革命か衰退により自己崩壊していくのである。》

生命は敵対しあい、滅ぼしあいながら、生き残った。それこそが進化だという考えはイデオロギーにすぎないと思う。利己的遺伝子論などはもう廃れてしまったのだろうか。『社会生物学』のE・O・ウィルソンは80年代初頭、差別を本能として肯定する新右翼と非難されていたが、生命の多様性とバイオフィリアを主張する篤実なエコロジストに変身した。だが現時点で進化論はいまだ環境主義・共生思想の障害にしかなっていないのではないか。

吉村仁の本では進化の要因を木村資生の中立説に依っているようだが、アーサーケストラー『サンバガエルの謎』は「獲得形質は遺伝するか」と副題されてる。この本が刊行されたとき、書店では殺人スリラーのように扱われたという。けど現在のノンフィクション作家が書いたらもっとスリリングで面白くなったんじゃないかと思う。
目の退化したイモリから、目を復元させてしまう魔法のようなパウルカンメラーの実験の信憑性は俺にはよくわからない。進化とはそんなにも短期間で実現できるものなのか?
しかし、自然淘汰と突然変異だけを要因とする進化論は切り崩されたとケストラーはいう。俺も当ブログで何度か書いたように、ダーウィン進化論は間違ってると思う。けれどもいまだに進化は突然変異と自然淘汰で成り立っていると主張する自然科学者のほうが多いのだ。
環境と共生を視野にいれた進化論を進化させねばならない。

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