イブン=ハルドゥーン『歴史序説』から

自民党が「大勝」したわけだが、不正選挙なのできわめて醜怪。リチャードコシミズや副島隆彦だけでなく、元外務官僚で防衛大教授も務めた孫崎享や、元自民党議員で国家公安委員長を務めた白川勝彦といった、国家の謀略を肌で知っている人が不正選挙疑惑を語っていることに、せめて左翼メデアは敏感になるべきではないのか。

さて、このところ岩波文庫イブン=ハルドゥーン『歴史序説』(森本公誠訳)を読んでいる。第二巻には現代にもつうずるこんな言葉が記されている。深く噛みしめるべきものだろう。

「課税率が公正の限界を越えて増大すると、人民の労働に対する意欲が失われてしまう。それは彼らが自分の出費や税金と、自分の収入や利益とを比較して、彼らの得た利益が少ないとわかると、すべての望みを失ってしまうからである。それで彼らの多くは労働からまったく遠ざかることになる。その結果、各個人に対する課税額が少なくなるので、租税収入の総額も少なくなる。時には当局者は徴税の減少に気がつくと、その補填手段として、今度は個人に対する割当率を増大させる。ついには各個人に対する割当率も分担課税額も限界に達し、もはやそれを増やそうとしてもなんらの利益もなくなる。いまやどんな労働をしても出費はあまりにも大きく、税金はあまりにも重く、予期した利益も手に入らない。こうして徴税総額は減少し続け、一方個人への割当率と分担課税額は増加し続ける。というのは、当局者はこのような増税によって収入の減少を償えるであろうと信じているからである。やがてついには労働への意欲が喪失したことによって、文明が崩壊する。」

「文明的社会生活を送るようになった人間に奢侈や福祉の現象が起こると、人間は必然的に都会生活を営み、文化的な生活様式や風習を採用するようになる。文化とは、周知のようなさまざまな奢侈物の採用であり、奢侈生活の追及であり、調理、裁縫、建築、絨毯、容器製造など日常生活に要するあらゆる技術を含めて、優美なものを生み出すための技術の練磨である。このような個々の技術すべてにわたっての洗練ということは、田舎や砂漠の生活には必要がないし、またそのような生活にはおよそ洗練さは認められない。日常生活の物質面における洗練がひとまず目的を達すると、次に精神的欲望の充足ということが起こる。およそ人間の魂は、さまざまな社会習慣に染まって、もはやその精神状態は宗教面においても世俗面においても、善良なものとはいえなくなっている。いまやまったく抜きがたいほど奢侈的な風潮に染まってしまったがために、信仰心が持てず、また奢侈的な生活をするにはあまりにも多くの物質を必要とするにもかかわらず、所得がこれに伴わないがために、まともな世俗的行為ができない。」
「これはすべて奢侈的文化の極度の発達がもたらす結果である。このような発達は、生産ならびに商業活動、文明という点での都市全体の堕落を招くのであるが、一方住民の個々人も堕落してしまう。すなわち、奢侈的生活を営もうとするために労苦に疲れ、またそうした生活に要するものを得ようとする場合に染まりやすい悪に染まって、一つの悪徳を得てしまうと、他の悪徳も得ようとするというように魂は傷つく。それで生計を立てるに当たっての不道徳、悪事、不誠実、ごまかしといった行為がそのものずばりで、また形を変えて住民のあいだにはびこる。人はそのような生計の立て方に全力を傾けて熟慮し、目的のためにはどんな策略も用いるようになる。虚言、賭博、詐取、詐欺、偽証、高利貸が横行し、さらに奢侈のもたらす多くの欲望や快楽のために、あらゆる種類の不道徳的行為、不道徳さとその動機の公言、ひどうときには家族や親戚や婦人とのあいだでさえ行われる猥談などに長じる。これは田舎や砂漠の生活では非難すべきこととされている。また狡猾老獪で、身にかかる圧力や不正行為に対する懲罰から身を守ることにたけ、ついにはこれが住民の大半の習慣となり性質となって、そうでない者は神の教えに救われた者だけとなる。」

かくして、今日も正義は、イブンハルドーンによって、守られた。

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