生物学ノート

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ドクターペッパーが不味いという奴はキチガイだと思う

というわけで、進化論などを主題にした評論を構想中なので、生物学関連のさまざまな本を読んでいる。吉川浩満『理不尽な進化』は、俺の考えていることとはだいぶ違うのだが、著者は学生時代、ドーキンス『利己的な遺伝子』と並んで、真木悠介『自我の起原』から影響を受けたという。

俺は学生のころに、今西錦司の著作を読み、自然淘汰なる発想への批判的視野を手に入れた。八十年代半ば、いまでは『生命の多様性』『バイオフィリア』で知られるE・O・ウィルソンは、動物社会を人間文化にそのままあてはめ、差別や抑圧が遺伝的に決定されていると論じる新右翼として批判されていた。それに興味を持ち、社会生物学の本を生噛りていどに読んだ。動物は同種族間での殺し合いをしない、殺し合うのは人間だけだというローレンツ風の生命観をくつがえした猿の子殺し現象は日高敏隆『利己としての死』や立花隆『サル学の現在』あたりで知っていたと思うが、ドーキンスの利己的遺伝子論までは知らなかった。

だから真木悠介がカルチャーセンターで「動物社会学 えそてりか」なる講義を行うと知り、勢い込んで駆けつけたものだ。そのときはもう竹内久美子の本が出ていたはずで(いまだに読んだことがない、ていうか読む必要はない)、利己的遺伝子論も世間に広まっていただろう。

動物の利己利他問題について最低限の知識を持っていたこともあり、この講義は面白かった。翌年、「自我の起原」初稿が発表され、図書館でコピーして夢中で読みふけり、まもなく刊行された本もすぐさま買って何度も読み返した。これは真木の著書でも最高傑作だと思う。大澤真幸ではこれほど美しくまとまった著作は書けまい。

『自我の起原』はドーキンスの延長された表現型という概念を反転させる発想が骨子となっており、そのあざやかな論理に魅了され、ドーキンスなど読む必要がないと思い込み、ほとんど注意を払ってこなかった。

吉川浩満の本はかなりの部分ドーキンスに拠っていて、そのため俺には反発を感じさせるのだけど、進化論を勉強するならやはりドーキンスは読んでおかねばなるまい。俺の考えはかなりSFチックな妄想になりそうなのだが、きちんと論理展開できれば面白くなるのではないかと自負している。いまいえるのはそんなとこだ。

かくして、今日も正義は、私によって守られた。


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