二十九年前の朝まで生テレビ

晩年の西部邁はアヘ政権に批判的だったようだが、もう少し生きていたら、朝日の森友文書改竄報道と断末魔のアヘチンゾウに対して、どんな反応をみせたのだろうか。

などと思ったのは、ネット動画で西部邁追悼として、1989年元日に放送された朝まで生テレビの一部が掲げられているのを見つけたからだ。
この回は私が最初に見た朝までテレビで、出演者も豪華。すさまじい激論だった。録画しなかったことを長年後悔し、もう一度見たいと願っていたものなのだ。
朝まで生テレビはその前年、原発をとりあげた議論が話題になっていたが、それは見なかった。その後、大島渚の怒鳴り声がすごいとか、小田実と野村秋介が対決したといった話を聞き、見てみたいと思ったのだ。

見てみると、あまりにもおもしろくて驚いた。大晦日の九時ごろから高坂正堯や黒川紀章、ニューヨークからの中継では筑紫哲也とヒロヤマガタが出演して、比較的真面目な議論がはじまったのだが(翌年には岸恵子が出ていた)、もう野坂昭如はベロンベロンに酔っぱらっていて、大丈夫か、と心配になったほどだ。
そして年明けから本編がはじまる。動画に掲がっているのは番組後半で、もうみんな喋り疲れておとなしくなっているが、前半の、リクルート問題と天皇の議論は本当にすごかった。西部・栗本慎一郎・舛添要一が喋りまくり、小田実が吼え、興奮状態の舛添はデーブスペクターにまでからみはじめ、野坂はムリヤリ舛添から発言権を奪ったものの言葉に詰まって手振りをすると舛添がそれをマネしながら「これは何だよ!」と怒鳴る。えらい東大助教授がいたもんだと私は驚きあきれた。池田満寿夫や逗子市長の富野暉一郎はよくあの場に最後まで我慢していたものだ。朝日新聞の編集委員も出ていたが、すぐに帰ってしまったようだ。
もう出演者の多くが亡くなっており、そのうち自殺者がふたり、黒木香も自殺未遂を起こしているから、まさに呪われた番組とよんでいいのではないか。動画のコメント欄は自民党に金で雇われたクソウヨの巣となりはてており、これもまた呪われた場所といっていいのかもしれない。

この番組、その後はだんだんと政局話ばかりになってしまい、それも必ず司会の田原が強引に小選挙区制を礼賛する議論に進めてしまい、九十年代半ばには大島野坂も出なくなり、すっかり見なくなってしまったが、一番緊張感があったのは民族派と小田実との植民地責任をめぐる激論。一番面白かったのはゴルバチョフ政権下でクーデター騒ぎがあったあとのロシアをめぐる議論。客席にいたロシアの若い留学生が、民青の学生や、元共産党のロシア人ジャーナリストと議論になって、ソ連時代は留学するのに「資本主義者とセックスをしてはいけない」との念書を書かされると発言すると、田原が「日本共産党の人ならいいわけね」と返し、これにはいつもいがみあってる西尾幹二と下村満子も顔を見合わせ大爆笑するという、ほほえましい光景があった。
それにしても西部より、大島・野坂・小田はじつに得難い論客だったとなつかしく思い出し、涙を流す私なのであった。初期の番組の録画を、もっと見られるようにしてほしいものだ。

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