世界文学大作戦:ウラル・バトゥル

はじめは嘘つきに対して王座が据えられることもあろうが、最後には人々はその嘘を発見して顔に唾をはきかけることになろう。(賢者アヒカルの言葉)

すこしは19世紀20世紀の文学も読まねばと思うのだが、どうしても近代以前の文学作品のほうが面白く、そっちを読みふけってしまう。

さて、平凡社東洋文庫は長きにわたり中央アジアの英雄叙事詩を翻訳刊行している。その第一弾はモンゴルの『ゲセル・ハーン物語』だったと思う。これはすごい幻想文学の大傑作で、いつかあらためて紹介したい。今回取り上げるのはロシア連邦ウラル地方のテュルク(土耳古)系バシュコルト民族の叙事詩『ウラル・バトゥル』(坂井弘紀訳)。解説によるとその最大の特徴は神話的要素が強いことにあるという。《中央ユーラシア・テュルクの英雄叙事詩の多くが、イスラーム的要素を反映し、また歴史上実際に起こった出来事を背景にしていることが多いのに対し、この作品は、イスラーム的要素がほとんどなく、神話的世界の「原初の人間」を描き、この世界の山や川が創られる過程を示し、さまざまな動物の謂れを明かすなど、特異な世界観を呈している。そこにはバシュコルトのイスラーム化以前の信仰や世界観が色濃く反映されており、古えの彼らの精神世界を知るよすがとなっている。》
たしかに、「死」を乗り越えるために世界を旅する主人公ウラルの遍歴はまるでギルガメシュそっくりだし、洪水により祖先が滅んだあと、死の存在しない世界に生きつづけるウラルの両親はウトナピシュテムそのままだ。異本にあらわれる、女に化けた蛇がウラルと兄シュルガンを惑わし肉獣の血を飲ませようとする逸話は創世記のエデンの園神話を思わせる。
冒頭、死の存在しない世界では、死はそこに生きる一族そのものを意味していたという話はとても興味深い。彼ら自身は死を知らないが、人間以外の生命にとって、死をもたらすのは人間だという動物からの視点がほのみえている。
たとえば、西アフリカに住むドゴン族の長老オゴテメリは「狩りは死の仕事であって、死を引き寄せる」と語る(マルセル・グリオール『水の神」)。生きるためとはいえ、動物たちの命を奪うことは、また狩人とその家族の命をも縮めるという透徹した認識が彼らを支配しているのだ。ウラルはそうした思想を超え、あらゆる生物から死を打ち消そうと夢見、動物たちを集めて提案するが、肉食獣(およびシュルガン)はこぞって反対する。ワタリガラスはのべる。

 母から生まれてきたものが、
 この世で死なぬというのなら、
 大地に草と木々をという、
 しきたりに従わぬなら、
 季節が巡って時が過ぎ、
 秋の霜が降りたとしても、
 われらに何の得があろう?

議論が噴出し、考えはまとまらず、ウラルの両親は死を恐れるようになってしまう。ある日、狩りに出た一家は、天上にある鳥の国の王女である白鳥を捕らえる。彼女から善の国と悪の国の話を聞いたウラルとシュルガンは、命の泉求め死を打ち倒すための旅に出る。
というふうに冒険譚が展開されてゆく。悪鬼と、そしてその長と化した兄シュルガンと闘い、命の泉を手に入れる。しかし勝利の場にあらわれたのは、痩せ衰えたひとりの老人だった。老人は命の泉の水を飲み、死ぬことができず苦しんでいるのだ。

 蝶のような魂だけが、
 一口ほどの血液だけが、
 弱り果てた残骸だけがわしにはどうにか残っておる。
 骨も筋も砕けてしまった。
 ただ壊れることのない感覚だけが残っておる。
 もう考えもまとまらない。
 生きていられる体でないのだ。

この老人もまたギルガメシュ叙事詩のウトナピシュテムと同じ役割を担う。老人は命の泉を飲んではならぬといい、さらにつづける。

 この世界は、庭園だ。
 この世に命あるものは、
 ある世代が汚したら、
 別の世代がきれいにする。
 多彩な色で飾りつけられた、
 あらゆる草木や花の庭園。

ウラルはその言葉を受け入れ、つぎのように言う。

 山を緑で満たしましょう。
 褪せない色で飾りましょう。
 鳥がさえずり誇らしく、
 人が歌ってたたえ合い、
 地上から逃げた敵さえも
 誰でも魅了されるような
 みんなが愛する故郷にし、
 大地を愛する庭にして、
 敵の瞳を焦がすほど、
 輝く大地になるように!

こうして命の泉を飲まなかったウラルは最後の闘いに挑み、兄シュルガンが仕込んだ湖を悪鬼もろとも飲み干し、死ぬ。
善と悪の闘いはゾロアスター教の影響のようだが、死との闘いに関する老人の言葉は、はじめのワタリガラスの言葉と通底している。自然の秩序に逆らってはならない。梅原猛はかつて、森を伐り死の克服を願うギルガメシュ叙事詩から、自然と人間との闘いを読み取っていたが、この英雄の物語もまた、きわめてエコロジカルな主題をつきつけているのだ。もうすこしいえば、人間が容易に死ななくなった高齢化社会のもたらす弊害を思い起こすこともできるだろう。生あるものは必ず死ななければならぬのだ。この作品も最上級の世界文学なのだ。

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