世界文学大作戦:イブン・トゥファイルの哲学小説「ヤクザーンの子ハイイの物語」

イブン・トゥファイルの哲学小説「ヤクザーンの子ハイイの物語」の翻訳はないとながらく思い込んでいたのだが、調べると、上智大学中世思想研究所編訳監修、中世思想原典集成11『イスラーム哲学』(平凡社)に収録されていると知り、さっそく図書館で借りてくる。これはイブン・シーナー、ガザーリー、イブン・ルシュド、スフラワルディーといった、おいらも名前だけは知っている思想家の著作が網羅された一冊だった。

しかし千頁を超える大冊で、しかも哲学にもイスラム教にも暗いおいらには短期間で読み通せるはずがない。なので上記「ヤクザーンの子ハイイの物語」(垂井弘志訳)だけを読んでみる。
超一級の文学作品、とまではいえないけど、かなり興味深いものだった。

この小説を知ったのはイブン・ハルドゥーン『歴史序説』からだった。過去の記事から引用する。
https://oudon.at.webry.info/201412/article_4.html
「イブンハルドゥーン『歴史序説(三)』には、世界の終末や生類の滅亡はありえないという見解に反対した哲学者イブン=スィーナーの思想が紹介されている。
《彼によると、〔破滅ののちには〕きわめて長い年月のあいだでもめったに起こることのない天文上の支配要因と不思議な星位によって万物が再建される。それには適度の熱によって、被創造物の物質に相当するようなある種の土が発酵する必要がある。こうして人類が生まれるようになるが、それはまだ動物であって、その動物の体内には人類として成長するようにしむける本能がそなわっており、やがてはそれが完全な存在となり、乳離れするのである。》
イブンハルドーンはその推論に反対しているけれど、中世アラブに早くもこんなするどい進化論的発想があったとは驚かされる。」

ハルドーンはそのシーナーの著作を『ヤクザーンの子ハイイ論』としているが、森本公誠の訳注によると、シーナーの作にそのようなことは述べられておらず、イブン=トゥファイルの有名な哲学小説のほうに近いことが書かれているので、ハルドーンが読んだのは、トファイルやシーナーの作品を元にした誰か別の論著ではないかという。
ともあれ、それでイブン・シーナーおよびイブン・トゥファイルの「ヤクザーンの子ハイイの物語」を読んでみたいと願ってきたのだが、どちらも翻訳はないと諦めていたのだ。

イブン・トファイルは西方イスラムとよばれるイスラム時代のスペインの医者・哲学者。人種的にはスペイン人なのかもしれないが、アラビヤ語をあやつるイスラム教徒なのだから文化的にはアラブ人といってよかろう。その作品はシーナーの著作「ヤクザーンの子ハイイの物語」および「サラーマーンとアブサール」という寓意小説を元に書かれているが、内容は別物だという。トファイルのこの小説は西洋でも有名らしく、井筒俊彦は「イスラーム思想史』で一章を費やし論じている。

主人公ハイイ誕生から物語は始まる。とある島の王の妹がヤクザーンなる男と密通し、子供を産むが、彼女は事が露見するのをおそれ、子供を箱舟に乗せ、海に流す。箱舟は向かいの孤島に漂着し、子供はメスのカモシカに発見され、育てられる。
…と、これならば出エジプト記にあるモーゼ生誕とおなじ貴種流離譚だが、ハイイの誕生にはもうひとつの物語があると著者は主張する。それはハイイが父も母もなく、自然発生したとの説だ。

《この島の窪みで、長年にわたって一つの土塊が発酵し続けた結果、その中で熱と冷、湿と乾とが力において均衡し、調和した状態で、混合していた。この発酵した土塊は非常に大きく、ある部分の混合状態はほかの部分よりも調和がとれており、〔人間の〕生殖細胞の生成により適していた。なかでもその中心部は最も調和がとれており、人間の体質にもっともよく類似していた。この土塊が激しく揺さぶられると、強い粘り気のために、沸騰したときにできる泡のようなものが生じ、その中心に、薄い膜で二分され、最適の状態で調和した稀薄な気体で満たされた非常に小さな泡が生じた。このとき、「神から発した霊」(コーラン)がそれと結びつき、感覚によっても理性によっても分離することが考えられないほど固く結合した。》《この霊がその小胞と結びつくと、すべての力が神の命令によってこの霊に完全に服従した。次いでこの小胞の向かいに、三つの小胞に分かれた別の泡が生じた。これらの小胞は互いに薄い膜で隔てられ、通路でつながり最初の小胞を満たしていたのと同様の、しかしそれほど稀薄ではない気体で満たされていた。これらの三つに分かれた小嚢に、この霊に服従した力の一部が宿った。》《さて、第一〔の小胞〕に霊が結びついて熱を生じると、それは松果状の炎の形をとった。それを取り巻く濃密な物体も同様の形をとって固い肉となり、さらにそれを保護する被膜が形成された。この器官全体が心臓と呼ばれ、熱は分解を惹き起こし、水分を失わせるため、心臓は、自分を助け、栄養を与え、分解して失われたものをたえず補ってくれるものを必要とした。(略)そして〔残りの二つのうち〕一方の器官が、心臓から生じるさまざまな力によって心臓のために一方の要求を満たす役目を引き受け、もう一方の器官がもう一方の要求を満たす役目を引き受けた。感覚を司るのは脳であり、栄養を司るのは肝臓であった。》

こんなぐあいで、さきに引用したイブン・ハルドゥーンが取り上げたのはこの部分だろう。しかしこの説を採るとハイイはもう「ヤクザーンの子」ではなくなってしまう。おそらくここが、シーナーの寓話から離れたトファイルの独創なのではないかと推測する。井筒俊彦によるとヤクザーン(目覚めている者)は神、ハイイ(生きている者)は理性の象徴という。
創造主の力も借りず、個体が孤島で自然発生したという物語は、原始神話ならともかく、そもそも哲学書として書かれ、イスラム世界で発展を遂げた医学や自然科学を拠り所にしているだけに、なんとも荒唐無稽な創作に思えるが、イブン・ハルドゥーンが解したように、これを生物進化の発展と考えれば、まるでオパーリンの生命起源説やマーグリスの真核細胞共生進化説にも近い発想に行きついているのだ(個体発生は系統発生を繰り返す!)。イブン・トゥファイルは自然科学の知見というより、思索と直観によってこうした見解に到達したのだ。

いずれにしてもハイイは孤島でカモシカを母として育った。ハイイはカモシカをはじめ、さまざまな動物の声を真似つつも、彼らとみずからの違いを知り、七歳になると自前の衣服を身に着け、手を使い道具を使って身を守ることを覚える。
やがて母親のカモシカに寿命が訪れ、死を迎える。ハイイはカモシカの死因を探り、甦らそうとその体を解剖し、生命を支える原因が存在することを知る。
それから彼は多くの自然現象を観察し、物質の要因を知り、創造主の存在を認識する。七年ごとに新たな認識に到達し、七度目の七周年、とうとう最終的な真理、神秘的直観の境地に至る。

イスラム哲学には独学者の自己完成という大きな主題があるという。イスラム教といえばすぐ原理主義を連想してしまいがちだけど、ハイイは教典や戒律に拠らず、経験と観察と思索と直観によって世界の本質を極める。彼は哲学史を体験的に反復する。

ハイイが真理に到達したころ、隣の島にはアブサールとサラーマーンという若者がいた。アブサールは内面に沈潜し、神秘的な意味を追及し、サラーマーンは法を遵守し、社会の中で生きることに関心を抱いていた。アブサールは孤島に隠棲することを願い、そこに移り住み、ハイイと出会う。数多くの言語を習得していたアブサールも、ハイイの獣の言葉を理解できない。だがやがて二人は打ち解け、アブサールはハイイに言葉を教え、両者はたがいが到達していた真実在の境地が同一のものだったと知る。
ハイイは人間社会を知り、そこでみずから掴んだ真理を人人に広め、救済することを願う。二人はサラーマーンが治めている島へ向かうが、受け入れられず、失意のまま孤島に戻るのだった。

「この小説において、ハイは哲学(イブン・トゥファイルの理想とした神秘主義的直観に導く哲学)を象徴し、アブサールは啓示された宗教を、サラーマーンおよびその支配下にある大衆は機械的な、盲目的な信仰を象徴している」と井筒俊彦はのべる。物語の最後は仏典の逸話とまったく逆の、皮肉な悲しい結末になっている。神秘主義はイスラム思想の主流になりえなかったのだ。そういえば『歴史序説』もきわめて現世的な著作だ。

この小説は西洋に広く紹介され、『ロビンソン・クルーソー』に影響を与えたという。トファイルの自然観察と神秘体験の哲学が現世利益の経済発展の物語に変えられてしまうのだ。ボルテールの哲学小説もここから学んでいるのだろう。
またエジプトの医学者・哲学者イブン・アル・ナフィスはトファイルの小説に対応して「預言者の伝記の中の完全なメッセージ」(英訳本では「独学の神学者」)という小説を書いているそうで、これはイスラム終末論など盛り込んだ、世界最初のSFとみなす人もいるものらしく、激しく読みたく思うけど、こっちは今度こそ本当に未訳だろう。平凡社はこの作品を翻訳刊行すべきだ。

ペルシャ神秘主義の詩はいくらか読んだが、イスラムの思想は本腰を入れて勉強したらかなり面白いのかもしれない。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック