レザー・アスラン『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』

しばらく古代イスラエル最初の記述預言者アモスに関する本を読んでいたのだが、並木浩一『ヘブライズムの人間感覚』はその時代の社会背景を捉えて興味深い。《古代の農民たちはどこでもぎりぎりの生活状況にあり、家族の増加やしばしば訪れる雨不足やいなごの害によって、いとも容易に困窮して、納税や食料、それに播種のために帰属もしくは富裕農民から金や穀物を借りてしのぐほかはないのですが、それを返却できないことが多く、また利息もかさむのです。家財、妻子を抵当に入れても仮が返せなければ、債務者は債権者によって法廷に訴えられ、借り手自身が債務奴隷の身分に落とされます。こうして大勢の貧しい者と少数の富む者への両極分解がどんどん進行していきます。》
アモスはこうした状況を批判し、繁栄する都市経済の没落を見据え、警鐘を鳴らしたのだ。

レザー・アスラン『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』は一神教の成立過程を解き明かした部分がじつに面白い。
多くの神神が階級化され、下方の神が降り落とされ、ひとりの最高神が選びだされると、他の神神の属性は最高神に吸収されてしまう。ひとつの神に別の神の多くの属性が集中して付加されと、整合性がとれなくなる。最高神は矛盾した性格を帯びる。人間は神の矛盾に耐えられない。この問題を解決する方法は、神を非人格化することだ。しかし人間と同じ特質を持たない神と、人はどのように親しく交われるのか?
そうした困難があるため、唯一神はなかなか成立しない。古代エジプトではアクエンアテン王がアテンという唯一神信仰を強制したが、死後その宗教は廃され、存在自体が隠滅された。イランではザラスシュトラ(ゾロアスター)が比類なき神アフラ・マズダーを崇拝した。彼はひとつの神が善と悪の根源である矛盾を解決するため、悪は自立した存在ではなく、善に付随する影のようなものと主張した。だがこの見解は受け入れられず、ザラスシュトラの死後その宗教は変質し、善悪それぞれの神を信仰する二神論となった。
かようにむつかしい一神教の確立を成功させたのは、イスラエルとよばれる一部族だった。
イスラエル人たちもはじめは複数の神を持っていた。そのなかでヤハウエが最高神に格上げされたのは、部族が統一され、中央集権化された君主国になってからだという。地上が変革されれば、それにあわせて天上も変革される。だがこの時点では、ヤハウエはまだ唯一神ではない。非人格化された絶対の神が登場するのは、王国が解体し、バビロニアに侵略され、多くの人人が捕らえられ、生まれついた土地を離れ移住を余儀なくされたのちだった。
《ユダヤ人の間に一神教を導入したのは、換言すれば、バビロニア人の手によるイスラエルの悲惨な敗北を合理化するためだった。バビロン捕囚で引き起こされたアイデンティティの危機は、イスラエル人に自分たちの神聖な歴史の再検討と宗教的社会意識の再解釈を余儀なくさせた。捕囚によって二つの矛盾するアイデンティティを抱え込んだ彼らが、この経験を理解するには、ドラマティックで、今までなら到底実現不可能だった宗教的枠組みが必要だった。/これまでの神学的概念はすんなり認めにくかった。一人の神が善にも悪にも関与しているのか?一人の神が私たち人間の属性を丸ごと文句なしに引き受けることができるのか?―-それが突然、大丈夫になったのだ。一つの部族とその神が、実際に一体なのなら、一つの敗北は他方の終焉の警鐘を鳴らす。バビロン捕囚で苦しむ一神教的信仰を持つ改革者たちにとって、一つの民族として自分たちの神と自分たちのアイデンティティを諦めるよりも、報復心に燃える矛盾だらけの神を考え出すほうが好都合だった。》
かくして、民族の神話と教えは書き換えられ、形のない唯一絶対の神が誕生した。
柄谷行人は『世界史の構造』でつぎのようなことをのべている。原始社会の宗教はそもそも、贈与の互酬によって成り立っている。神は収穫の豊饒をもたらすための存在で、見返りが得られなければ棄てられる。初期イスラエル社会の契約も、そうした互酬の原理に基づいていた。だが捕囚以後、国家の滅亡と民族の危機にあって、ユダヤの預言者は新たな神の観念を打ち立てた。国家の滅亡にあって生き残り、生まれ変わった神は、国家の栄華に関心を持たず、それどころか国家を否定する。預言者たちは互酬性を否定し、国家の敗北を神の敗北ではなく、神の懲罰と解したのだ。
この見解は柄谷の独創なのか、ウエエバアの請売りなのかはわからない。『古代ユダヤ教』を読み、そのうえで『世界史の構造』をきちんと読み返す必要がある。
アスランの著作に戻ると、唯一神はイスラム教によりさらに強められ、森羅万象に遍在する神となる。そして神秘主義者は、神がすべてに宿っているなら、存在すべてが神なのだと解釈し、原始のアニミズムに近づく。だがそれはもはや外部にのみ在すのではない。つまり、あなたもわたしも神なのだ、ということになる。

ところでザラスシュトラの宗教改革にはもうひとつ終末論の転回がある。原始神話における終末は、かつてあった世界が、大洪水などの天変地異によって滅び、然るのち再創造・再編成されて、現存する民族につながってゆくというもので、つまるところ終末は過去に起こった出来事なのだが、ザラスシュトラはそれを配置転換し、終末をこれからさき起る世界の再編成とし、未来への可能性と捉えたのだ。それはユダヤの人たちにも希望をあたえる。ダミアン・トンプソンは黙示録について《黙示録的世界は危機から生まれたジャンルとして、捕囚の身から一気に永遠に開放されるという未来像を見せて、共同体の戦う決意を固めるために書かれた。つまり迫害される者の慰めとなるものだった》と指摘している(『終末思想に夢中な人たち』)。これをアスランや柄谷の問題意識と結びあわせれば、アモスをはじめとする預言者の思想も明瞭になってくるだろう。

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