詩と箴言:アメンホテプ四世とダライ・ラマ六世

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉(大木英夫『終末論的考察』より)

以前の記事でふれたようにエジプトの王アメンホテプ四世は、王国の守護神アメンを否定し、伝統的な神々の祭祀を禁じ、新しい太陽神アテンを崇拝し、みずからの王名をアメンホテプからアクエンアテンと改め、その信仰を強制した。そこには勢力を強める神官から権威を奪還しようとする政治的意図が籠められていたともいわれるが、その信仰心は純粋で強烈だったという。そんなアクエンアテン自作のアテン神を讃える歌から(筑摩世界文学大系1『古代オリエント集』屋形禎亮訳)。

汝、西の地平線に沈むとき、
国土は暗闇のうちにあり、死のさまにあり。
かれら、頭を包みて一室に眠り、
たがいに眼を見交わすことなし。
かれらの頭の下にありし財物すべて盗まれたるも、
かれら(これを)知らざらん。
獅子すべてその洞穴よりいで、
(地を)這うものすべて、かれらは刺す。
暗闇は屍衣にして、地は静寂せり。
かれらをつくりしもの、地平線に憩えばなり。

夜明け、汝が地平線にのぼるとき、
昼、汝がアテンとして輝くとき、
汝、暗闇を追いはらい、その光を与う。
両国は日々祝祭のうちにありて、
眼ざめ、足(ふみしめて)立つ。
汝、かれらを立ちあがらせしがゆえなり。
かれら、体を洗い、衣服をとり、
かれらの腕、汝の出現を讃えてあげらる。
全世界はその業をなす。

すべてのけもの、その牧草に満足し、
草木は繁栄す。巣より飛びたつ鳥ども、その翼は汝の力を讃えてひろげらる。
あらゆるけものは飛びはね、
飛ぶものもとどまるものも、
汝、かれらの(ため)昇るとき生く。
舟は北に南に航行す。
あれゆる道、汝の出現により開かるるなればなり。
河の魚は汝の顔前をとびはね、
汝の光、大海のただ中にあり。

女のうちに種子をつくりだすもの。
汝、男のうちに(精)液をつくり、
母の胎内に子を養い、
その欺きを鎮むるものもてかれを慰むるもの。
汝、胎内において(も)養う。
つくりだせしものみな養わんとて、息吹きを与えるもの。
かれの生まれいずる日、
呼吸せんとて胎内より下れるとき、
汝、その口を全く開き、
かれの必要とするものを与う。
卵の中の雛、殻の中にて語るとき、
汝、その中に息吹きを与う。
かれを養わんがために。
汝、卵中における(業を)かれに全うさせ、
(卵を)破らしめるとき、
かれ、全うされし(時)に卵よりいで、ことばを発す。
かれ、そこよりいで、(足もて)歩む。


『ダライ・ラマ六世 恋愛彷徨詩集』(今枝由郎訳)を読む。宗教指導者の最高位にありながら僧衣を脱ぎ、市中の女性たちと交わり、権力抗争のはざまで放蕩三昧の生活を送り、二十三歳の若さで逝去したダライ・ラマ六世ツァンヤン・ギャムツォの数奇な運命は訳者解説に詳述されていて、まことに興味深いのだが、背景は複雑なので、とりあえずダライ・ラマ6世のウキペデア項目をご覧ください。
彼の残した詩はブータンで現在も歌われる六音節四行の民謡の形式で、男女のあいだの歌垣に等しく、平安の和歌に近い趣。ツァンヤン・ギャムツォの詩はいまなおチベット人に愛唱されているという。いくつか紹介する。

見目麗しく雅なる/風情の君を目にせんは/高き梢の頂きに/熟れたる桃を見る如し
娘の心に従わば/我が今生に仏縁なし/山谷深く籠りなば/娘の心に背きなん
人我がことを噂せり/許せよすべてそのままに/若き男の子は三歩歩み/妓楼通いに明け暮れる
表黄色く中黒の/雲出で霜と雹の降る/非僧非俗の修行者は/仏の教えの敵なり
黄昏れ忍び愛し娘と/夜の白み明け雪の降り/秘めど詮なし足跡は/雪に定かに刻まれし
岩と風とはあい計り/鷹の羽根毛を毟り取り/悪たくらみと偽りに/我骨皮に憔悴す
草木に降りし白き霜/木枯らし告ぐる先触れぞ/花と蜂とが睦みしを/引き裂きしこそ汝なり


徒然草より(佐藤春夫訳)
蟻のように集まって、東西に急ぎ、南北に奔走している。高貴の人もあれば卑賤の人もある。老人もいるし、若者もいる、出かけていく場所があり、帰って来る家庭がある。みな、夜には寝て、朝になれば起きて働く。営々と労苦するのはなんのためであるか。死にたくない。儲けたい。休息する時もない。身を養って何を待つのであろうか。待つのはただ年をとって死ぬだけのことではないか。死期の来るのは遅いもので、一秒一秒の間でさえ近づいて来ているのである。これを待つ間にどんな楽しみがあり得るか。眩惑されている者はこれを恐れない。名聞や利欲に惑溺して冥途の近づくことを顧慮しないからである。愚人はまた徒らに死の近づくのを悲しむ。人生をいつまでもつづけたいと願って変化の法則を悟らないためである。

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