北沢方邦『世界像の大転換』

北沢方邦の新著『世界像の大転換』を読む。
北沢方邦の名を知ったのは、80年代の半ばごろ、当時熱中していた本多勝一の著作を通じてだった。
70年代、極限の民族の探訪ルポで人気を博し、反体制の論陣を張っていた気鋭のジャーナリスト本多と、構造主義を紹介し、対抗文化運動の担い手だった気鋭の文化人類学者北沢は初顔合わせの対談で意気投合し、エロ本をみながら猥談に興じていた、とどこかで読んだが、それはのちのこと。北沢の名前は記憶したが、図書館に本がなかったので、著書を読んだことはなかった。
だいぶたってから、図書館に入った『太陽と蛇とコロンブス』を読み、最新の文化人類学の成果を盛り込み、西洋近代の価値を揺るがすその面白さにたちまち引き込まれた。ウエイドデイビスのゾンビ本などもそれで知った。
その後、神田の古本屋で『メタファーとしての音』をみつけ、読んだ。これはいっそう刺激的で、メラネシアからアフリカ、日本・韓国・中国、東南アジアからインド・イスラム圏の音楽、西洋古典からロックに至る音楽の社会的意味を探るものだった。それからは図書館や古書店で北沢の本を探しだしては読んだ。芸術全般から社会・思想までをとりあげた時論集『黙示録時代の文化』は、自分が演劇の批評を書こうと考えるきっかけになったものだと、いまにして思う。〈東京の夏〉音楽祭での話も聴いた。北沢は本多勝一とは違い、日本の伝統文化を継承する存在として天皇家を評価していた。山口昌男より北沢のほうがはるかに面白かったし、80年代に流行った表層の批評より重要な、真の意味での脱近代を構想した人だろう。
ところで、北沢方邦の著作を読みふけるいっぽうで、疑問だったのは、学界で北沢がほとんど評価されていない、ということだった。音楽学や人類学の本で北沢を参考にしているものはないし、『社会学文献事典』にも一切ふれられてない。いったいどういうことなのか、と奇妙に感じていたのだ。
疑問が氷解したのは、ずいぶん経って『風と航跡』という自伝を読んだときだ。
北沢は戦中戦後の混乱で大学教育を受けることができぬまま就職し、さまざまな勉強会で研鑽を重ね、音楽評論を書き始め、大学の教員応募に論文を提出して認められ、講師に採用され、ついには大学教授になったというのだ。大学卒どころか、入学していないで教授になった人がそのとうじ(昭和三十年代から四十年代)他にいたのかどうか知らない。学閥もなくジャーナリズムで活躍はしたとしても差別意識はそうとう強かったのではないか。
いずれにしても俺にとっての北沢方邦が大思想家であることは間違いない。
北沢氏は七八年前までブログをやっていて、ステーブンピンカーの『暴力の人類史』の原書をただちに批判し、本書も刊行が予告されていたのだが、健康を害されたそうで、あとがきはほとんど遺書といっていい。愛妻青木やよいの死後、八十すぎて再婚していたことも知った。巻末の著書一覧からは『沈黙のパフォーマンス』が抜けている。
内容は、著者の思想の集大成というとおり、含蓄に富み刺激に満ちたもの。虚無に陥り、破滅に向かう近代文明をいかにのりこえるか。北沢書ではおなじみの、音楽や日本文化やホピ族や物理学や生物学の知見がつぎつぎにくりだされる。ダーウィン進化論を批判し、クロポトキンとエピジェネティクスを評価するあたりはさすがで、ここらはもうすこし踏み込んで論じて欲しかったが、おそらく著者にはもはや文章を書く力は残ってないのだろう。聖フランチェスコとイスラム神秘主義者ルーミーとの類似の指摘も興味深い。
批判と不満をのべるなら、著者は超能力を過大評価しすぎではないかということ。過去にも空中浮揚はあると発言して、噂の真相ではオカルトの布教者と非難されたり、その可否をめぐり本多勝一と絶交したりしたそうで、超能力擁護にも一定の論理はあるのだが、あまり信じすぎるのはよくないだろう。もうひとつ文化大革命への評価も似て非なる対抗文化運動との混同が生んだ誤解と認識したほうがよくはないか。しかしかつて文革を礼賛しておいて、いまでは口を拭って非難する人間にくらべれば誠実だ。
この本にかぎらず、北沢方邦の著作はもっと読まれなければならない。

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