人類滅亡論序説7

 稲岡宏蔵はロンボルグをブッシュ政権と呼応するかのように登場した経済成長至上主義者と批判する。マット・リドレーは《私が意見を異にするのは、ありとあらゆる政治色の反動主義者たちがほとんどで、たとえば文化的変化を嫌う保守派、経済的変化を嫌う社会主義者、テクノロジーの面での変化を嫌う極端な環境保護主義者らだ》(54)と、市場原理主義的立場を表明している。俺は伝統文化を重んじる保守主義者だし、経済的平等を求める社会主義者だし、自然と人間の共生を夢みるディープエコロジストだが、新自由主義には与さない。ナシーム・ニコラス・タレブはつぎのようにのべる。
《私のようにモデルを疑うからといって、反環境保護派や市場原理主義者が喜ぶような結論にたどり着いたりはしない。まったく逆だ。生態系に関しては超保守的であるべきで、というのは、私たちが今どんなところに害悪を垂れ流しているか、私たちにはわからないからである。》《「私たちが自然を傷つけているという証拠はない」なんて言う輩を見たら、「私たちが自然を傷つけていないという証拠もない」と言い返すのが正しい。立証責任は生態系を守ろうとする側にはない。立証責任は古くからあるシステムを乱す側にある。さらに、自分たちがすでに与えてしまった悪影響を「是正しよう」なんて思ってはいけない。今はあんまりよくわかっていない、新たな問題を引き起こしてしまうかもしれないからだ。》(55)
 タレブのいう、悪影響を是正しようとしてさらなる悪化を招く事態は、たとえば地球温暖化を防ぐために原子力発電を推進しようという考え(ラブロックはそう主張した)が典型だろう。進化は善にもなりうるが、悪にもなりうる。リドレーのいうように、社会の進化が遺伝子の進化とおなじ過程を辿るものだったら、それは不可逆であり、非文明化など起こるはずがない。
 だいたいにおいて淘汰原理主義としてのダーウィン進化論は新自由主義と親和性が強い。自然淘汰による進化論は科学というよりイデオロギーなのではないか。リドレーは遺伝子の利己性を強調したいあまり、生物内の大部分を占める目的不明のジャンクDNAが何かの役に立っているかもしれないという説を非難し、自然淘汰を強調したいあまりDNA修飾の次世代への継承を否定する(56)。しかしこの問題はまだ研究途上にあり、決着はついてない。ナオミ・オレスケスとエリック・M・コンウェイは、人間の適応力には限界がないという思い込み、人間はどんな状況にも適応できる、あるいは自分たちに合わせて状況を変えることができるという考え方を人間適応楽観主義とよんでいる(57)。かくして進化論は人間中心主義となる。繁栄論者は自然淘汰をふりかざしながら自然破壊をひそかに肯定しているのではないか。
 真木悠介が《人類が不滅か否かということを、(略)現実の問題として冷静に提起するかぎり、(略)われわれ自身が、それを死にさらす現実的な脅威にたいして、一つ一つ、具体的に闘い克服してゆくか否かにかかっているだろう》(58)と記すとおり、楽観論と悲観論はたがいを理解し、補完し、意見をすりあわせて問題解決を図ることが望ましい。ただ、俺はさほど天邪鬼な人間ではないけれど、人類が滅亡するといわれれば、それは自然生態系の危機から起こるのだからただちに阻止しなければならないと考え、人類はますます繁栄してゆくといわれれば、それは自然生態系の危機をもたらすからただちに滅亡させねばならぬとつい短絡的に考えてしまうのだ。
 市場原理主義は進化論と親和性が強いが、キリスト教原理主義はダーウィン進化論をまっこうから否定する。この二つの異なる原理主義が奇妙に癒着し、融合してしまっているのが現代アメリカの新保守主義であり、そうした思想が日本に輸入され、混乱を招いている。人類滅亡論が古代からの終末論をもろに反復しているとすれば、繁栄論から隠れようもなく露呈しているのは進化論だ。この二つの思想の奇妙な癒着。
 今後の課題として、なにより終末と進化について、考察しなければならない。

 ※人名表記は本文と一部異なる
(1)「ペンギンの島」近藤矩子訳 新集世界の文学23(中央公論社)
(2)杉浦康平『宇宙を呑む』(講談社)
(3)『東と西の宇宙観 東洋篇』(紀伊国屋書店)
(4)「列子」福永光司訳 中国古典文学大系4(平凡社)
(5)「終末の日」『第二の青春・負け犬』(冨山房百科文庫)
(6)「列子」
(7)デイヴィッド・M・ラウプ『大絶滅』渡辺政隆訳(平河出版社)
(8)ジョエル・レヴィ『世界の終焉へのいくつかのシナリオ』、マーティン・リース『今世紀で人類は終わる?』堀千恵子訳(草思社)、ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『こうして、世界は終わる』渡会圭子訳(ダイヤモンド社)、フレッド・グテル『人類が絶滅する6のシナリオ』夏目大訳(河出書房新社)、アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』『滅亡へのカウントダウン』鬼澤忍訳(早川書房)
(9)スティーブン・ピンカー+マルコム・グラッドウェル+マット・リドレー他『人類は絶滅を逃れられるのか』藤原朝子訳(ダイヤモンド社)
(10)『人類が絶滅する6のシナリオ』
(11)『大絶滅』
(12)『文明崩壊』上 楡井浩一訳(草思社)
(13)『自然の終焉』鈴木主税訳(河出書房新社)
(14)『クロイツェル・ソナタ』米川正夫訳(岩波文庫)
(15)「ピリュウスとシネアス」青柳瑞穂訳 ボーヴォワール著作集2『人生について』(人文書院)
(16)『人間解放の理論のために』(筑摩書房)『時間の比較社会学』(岩波書店)
(17)「確認されない死のなかで」『望郷と海』(ちくま文庫)
(18)「ピリュウスとシネアス」
(19)「大戦の終末」渡辺一夫訳 サルトル全集第十一巻(人文書院)
(20)「人類意識の発生」『文学の旅 思想の旅』(文藝春秋)
(21)(22)『物語批判序説』(中公文庫)
(23)『文明の逆説』(講談社文庫)
(24)『戦後サブカル年代記』(青土社)
(25)スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』幾島幸子・塩原通緒訳(青土社)、マット・リドレー『繁栄』『進化は万能である』大田直子・鍛原多恵子・柴田裕之・吉田三知世他訳(早川書房)、ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』山形浩生訳(文藝春秋)
(26)『暴力の人類史』下
(27)『人類は絶滅を逃れられるのか』
(28)『暴力の考古学』毬藻充訳(現代企画室)
(29)『進化は万能である』
(30)『やわらかな遺伝子』中村桂子・斉藤隆央訳(紀伊国屋書店)
(31)『繁栄』上
(32)『人類は絶滅を逃れられるのか』
(33)ヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』浜谷喜美子訳(日本経済評論社)
(34)『繁栄』下
(35)『暴力の人類史』上
(36)『人類は絶滅を逃れられるのか』
(37)『歴史の終わり』上 渡部昇一訳(三笠書房)
(38)『繁栄』下
(39)『繁栄』下
(40)(41)『環境危機をあおってはいけない』
(42)『動物保護運動の虚像』(成山堂書店)
(43)ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』福岡洋一訳(楽工社)
(44)『地球はほんとに危ないか?』(光文社)
(45)『世界の森林破壊を追う』(朝日選書)
(46)『環境危機をあおってはいけない』
(47)三村芳和『酸素のはなし』(中公新書)
(48)J・ラヴロック『地球生命圏』『ガイアの時代』スワミ・プレム・プラブッダ訳(工作舎)、森山茂『自己創成するガイア』(学習研究社)、田辺英一『地球環境46億年の大変動史』(DOJIN選書)
(49)K・ミラー+L・タングレイ『生命の樹』熊崎実訳(岩波書店)
(50)『世界を騙しつづける科学者たち』下、山崎清他著『環境危機はつくり話か』(緑風出版)
(51)『環境危機をあおってはいけない』
(52)『滅亡へのカウントダウン』下
(53)『世界の終焉へのいくつかのシナリオ』
(54)『繁栄』上
(55)『強さと脆さ』望月衛訳(ダイヤモンド社)
(56)『進化は万能である』
(57)『こうして、世界は終わる』
(58)『人間解放の理論のために』

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