大西つねき問題

初期仏典にこんな逸話がある。
キサーゴータミーという若い女性が、一人息子を亡くし、半狂乱になって仏陀の元にやってきた。子供を生き返らせてほしいというのだ。
仏陀はこう言った。「これまで一度も葬式を出したことのない家から、芥子の実を貰ってきなさい」
彼女は喜び勇んで出かけた。だが、どこを訪れても、葬式を出したことのない家はない。探しまわるうち、彼女は、人は誰も死を避けることはできないと悟り、仏陀に弟子入りし、尼になったという。

大西つねきの、死の選別発言を聞いて、この話を思い出した。もしかしたら大西つねきは、これまで大切な人を喪うという経験をしたことがないのではないか、だからこんな軽はずみなことを言うのではないかと思ったのだ。

去年の参院選で大西つねきの演説を聴いた。れいわ新選組の今後の展望について理路整然と語り、声がよく、かなりの切れ者と感じ、こうした人物がれいわ新選組にいるのは頼もしいと思った。
尊厳死を考えるうえでも大西の問題提起は重要じゃないかと、しばらく事態の推移を眺めていたのだが、どうも話は生命倫理といった高尚なものではなく、たんに経済至上主義者の浅薄な思いつきにすぎず、まともに取り上げるのもバカらしくなってきた。
大西はまず高齢化社会における要介護者の増加を解決すべきといいたかったらしいのだが、具体的な提案を持ち出すことなく死の選別を政治が決定すべきだとのべるのは、問題を真剣に考えていなかった証拠だろう。この発言をただちに優生思想と非難する気はないが、しかし慎重に論議しなければ優生思想になんなく取り込まれてしまう危険は充分にある。

大西は自分の発言が問題になったあとすぐに撤回謝罪したが、その後ふたたび自分は正しいとのべ、こんどは謝罪を撤回した。意地悪い見方をすれば、大西は山本太郎から除籍を提起され、どうせ辞めるのならと開き直ったのかもしれない。これらの右往左往は、信念に基づいた行動とは思えない。
はやくから大西を批判していた山口泉によると、大西は講演でこんな風に語っていたという。《「死に対する恐れを手放す武士道」「どうせ人間一度は死ぬ」「経済が止まる方が恐ろしい」「自分の講演で感染が拡大する可能性はあるが自粛しない」「金儲けで何が悪い」。氏のサイトの声明には「このウィルスを受け入れて、救える命、救えない命の見切りをつける」ともある》
俺が危険だと思ったのは命の選別よりこっちのほうだった。しかも大西は日頃から人前でもマスクを着用しないらしい。自分が感染するのはかまわないとしても、他人に感染させてもかまわないと考えているのだろう。それで介護について偉そうに語るのは正常な神経とは思えない。あるいは重症化しやすい高齢者はコロナでどんどん死ねば解決になる、とでも思っているのだろうか。
若い人のあいだで、仮に無症状感染者と重症化する感染者の割合が9:1だったとしよう。一割のために九割が自粛して経済が停滞してよいか、とするのが経済至上主義者だとすれば、れいわ新選組の思想は、そうした場合に備えて社会保障をきちんと設計せよ、という考えのはずだ。それとも大西は抗体のない人間が絶滅することで進化するというダーウィン主義の信奉者なのか(だとすればまぎれもない優生思想だ)。

けっきょく大西つねきは、アベやアソウと同列に扱っては酷だが、すくなくとも堀江貴文と同類とはいえるのではないか。大西つねきは、思想家と名乗るなら仏教の勉強をすべきだろう。仏陀は命の選別なんて教えは説くまい。
こんな奴でも、経済の見識があれば、それだけで全ての言説が正しいと思い込んでしまう宗教信者がいて、こんな輩が集団で、テロを起こしたり、国を売り渡したり、戦争を起こしたりするわけだ。
バカが多く、腹が立つ。かくして、今日も正義は、私によって守られた。

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