人類滅亡論序説3

 トルストイは『クロイツェル・ソナタ』のあとがきでのべる。《人類の滅亡ということは、人間にとって何もこと新しい思想ではない。宗教家にとっては、信仰のドグマであり、科学者にとっては、太陽の冷却という観察から推して、必ず到着しなければならぬ結論である》(14)と。
 トルストイは長廬子とおなじように、天文学的に人類の滅亡は必然と考えている。それは遠大な時間とのかねあいで、自身はあくまで、禁欲を軸とするトルストイ思想を実践すれば人類は滅亡してしまうではないか、という意見を断固否定している。しかしトルストイ晩年特有のはりつめた理想主義は、息苦しいまでに生の本当のありかたを読むものに突きつけずにはいられない。
 またボーボワールはのべる。《ユマニテは消滅するであろうなどとわれわれが断言するのを、何ものといえども許しません。人おのおのは死にますが、ユマニテは死ぬべきものでないことをわれわれは知っています》(15)と。
 一読すると、ボーボワールはユマニテ(人類)の終末を否定しているように思える。それは、人類は滅亡しないだろう、という楽観論でなく、滅んではならない、という信念の表明だ。しかしそこから楽天的なひびきはいささかも聞こえてこない。そこには、人類が死滅するなら、個人の生が無意味化してしまうという、天文学的虚無感が胎まれていることを、真木悠介はたびたび指摘している(16)。
 ボーボワールのことばにたいして、人おのおのも死ぬべきではない、という思索を、シベリア抑留で常人には想像もつかない絶望を体験し、帰国後二十数年を経て、生きるのを止めるように死んでいった詩人石原吉郎は語っている。《人間は死んではならない。死は、人間の側からは、あくまで理不尽なものであり、ありうべからざるものであり、絶対に起ってはならないものである。》(17)
たくさんの理不尽な死があたりまえのようにころがっている場をみつめてきたからこそ紡がれる、人間は死んではならない、という石原吉郎の呻くような洞察。つねに死と隣あわせにある絶望的な状況において、たとえどのような死でさえも、人間にとっては避けなければならない恐怖だ。避けられないがゆえに、避けなければならない。恐怖せねばならない。うらがえせば、大戦のさなか、大量死のさなか、人類はいずれ滅ぶという切実な予感・危機感があったからこそ、個人は死んでも人類は死んではならない、とボーボワールは言わずにはいられなかったのではないかと想像させる。
 ボーボワールはまたつぎのように書いている。《人間の終末は、だから、受容れられるものではなく、意欲されるものなのです》(18)と。ここでいう人間の終末は、個人の死を指していると思われるが、もしこれを人類という種の意味に捉えれば、滅亡もまた自由な意思によって選びとられ、勝ちとられる可能性を持つと考えられる。
 この、滅亡への意志こそ、本論の主題として、トルストイの思想とともに、のちあらためてとりあげられるべきものだが、いまは措こう。「許しません」とまでいわしめた人間の終末の思索は、しかしボーボワールの最も身近なところからあらわれた。第二次世界大戦が終結した直後、サルトルはすぐさまこう記した。
《戦争が終ったというけれど、それは要するに今度の戦争が終ったという意味だ。未来のことは保証されていない。つまり我々は、あらゆる戦争が終末することを信じていない。》《一発で十万人もの人間を殺すことのできる小さな爆弾、明日ともなれば、二百万人もの生命を奪うものとなる小さな爆弾、これが突如として我々人間の責任と、我々とを対決させることになったのだ。》《今や我々は、この「世界終末の年」(ランミル)へ戻ってしまったのであり、朝起きる度毎に、時代の終焉の前日にいることになるであろう。》(19)
 サルトルの思考は、戦争の終末の考察からはじまり、しだいに人類の終末に拡大されてゆく。今度の戦争こそ終ったが、まだ余燼は燻っており、いつ燃えあがるかわからない。ふたたび戦火が拡がり、原子爆弾が世界の各地で使用されれば、かつてない規模での破壊がもたらされ、人間の終末を迎えるかもしれない。人間はもはやいつ滅亡してもおかしくない状況に直面してしまったのだ。
 第一次世界大戦のあと、シュペングラー『西洋の没落』が書かれ、バレリーやエリオットやイリヤ・エレンブルグが西欧文明の衰退・滅亡を謳った。これらの哀歌がヨーロッパという地域に限定された、武田泰淳いうところの部分的滅亡にすぎなかったとすれば、サルトルによる「大戦の終末」は、いちはやく全的滅亡の宣言を行なったといえる。野間宏は一九五四年を人類意識の生まれた年としている(20)が(これは「日本で」という意味だと思われる)、そこで紹介される文学者たちの言葉をみると、いずれも原水爆の使用による存亡の危機から人類の存在が意識されている点が興味深い。人類という概念そのものが、滅亡と初めからわかちがたく結びついているのではないかとさえ思えてくるほどだ。アインシュタインも戦後まもなく、原水爆による人類の危機を警告したが、サルトルの慧眼はやはり先見の明を持っていたというべきだろう。
 ところで蓮実重彦は、そんなサルトルの発言を紋切型として徹底的に嘲笑している。「大戦の終末」は、プルーストやバレリーが第一次大戦後に記した言説と類似の構造を持っているという。《世界の表層を思いがけぬ亀裂が走りぬけるとき、その痕跡を目のあたりにするものは、その不慮の事態に対処しようとする善意から、きまって何ごとかの終りを予言してしまう。誰に頼まれたわけでもないのに、終末は間近に迫っていると口にすることが自分の役割だと錯覚し、ほとんど無意識のうちに、遊戯の規則にふさわしい屈託のなさで自分がいま捉えられている物語の主題を語ってしまうのである。》(21)
 たしかにいわれてみれば、「大戦の終末」が書かれる数日前に昭和天皇が発布した終戦の詔勅にも《加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ》という文言がある。自国が受けた衝撃が、それまでつづけられてきた戦争の被害を省みず、いっきに人類文明全体の終末にまでおしひろげられ、予言されてしまう。あるいはこれが核兵器と人間の終末を公に宣告した、はじめての言説だったかもしれず、原子爆弾からの人類滅亡というサルトルの物語も、おそらくは終戦の詔勅にふれて着想されたものだろう。
 蓮実がサルトルによる原爆と終末の物語を一定の評価を保留しつつもねちねち否定するのは(篠田一士はサルトルへの論述は目障りだと批評した)、八十年代初頭に文壇を騒がせ、「大戦の終末」とおなじ世界観を共有する、文学者の反核署名が念頭に置かれているからだろう。サルトルから多大な影響を受けた大江健三郎が核時代の想像力を訴え、核戦争の恐怖を語ったこと(大江は核に本当に恐怖する、と柄谷行人はいつかどこかで指摘していた)、また「大戦の終末」の訳者が大江の恩師渡辺一夫だったこと、さらに「大戦の終末」に極めて類似した(模倣した?)「第二の青春」「終末の日」を戦後まもなく発表した荒正人が大江の才能の第一発見者だったことをあわせて考えるなら、蓮実が書いたのは王殺しならぬ大江殺しの物語だったといえるかもしれない。
 蓮実重彦は「大戦の終末」にふれながら《分子生物学的な知見によって、進歩、科学、人間といった概念への確信がほとんど実証的に揺らぎ始めている現在》(22)と記しているけれど、それから三十年を経てむしろ事態は逆転し、分子生物学的な知見によって、進歩・科学・人間といった概念をほとんど実証的に揺るぎない確信と捉え、大戦の終末を宣告する言説が、現在あらわれはじめているのだ。

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