末法思想について

ユダヤの預言書や黙示文学を読んでいると、その社会状況が現在の腐りきった日本とよく似ていると感じざるを得ない。マスコミの虚偽報道と不正選挙にコーティングされた日本社会はもはや滅亡間近の末期症状というべきだろう。

数江教一『日本の末法思想』を再読。これは名著。
考えてみれば、俺は日本仏教をいままでほとんど勉強してこなかった。
著者はこのように書く。
《キリスト教の終末論においては、世界の終末は、神の国の近づけることを信じ、悔い改めることを条件にして、救済に転換することが可能であった。末法においては救済はすでに見込みがないのである。末法はただ世界の破滅に向って下降するのみであるから、人々は絶望に陥いるか、わずかに諦観にのがれて自分をごまかすより他はない。この点、末法思想はキリスト教の終末論とその性格をまったく異にしている。末法思想は本来的には終末論ではないのである。/しかし中世の初期に法然と親鸞が出現するに及んで、末法思想は日本の末法思想として、著しく終末論的な色彩をおびてきた。鎌倉新仏教の形成は絶望的な末法観の克服されてゆく過程にほかならないが、法然と親鸞の宗教において、末法の絶望を浄土の救済に転換せしめたものは、末法の内面化、すなわち法滅尽の危機意識を内面的な罪責観と結びつけることであったといってよい。それによって深刻な社会不安におびえていた人々の心は、内面的な罪責の問題に目を向けることを教えられ、末法の衆生なる故にこそ、反って弥陀の救済にあずかることができるのだという愛の宗教が確立してくる。》
これはやはり、日本仏教も学ばなければなるまい。

釈迦入滅後しばしのあいだ(五百年とも千年ともいわれる)、正法とよばれる時期に存在した教(仏の教え)・行(実践としての修行)・証(修行の成果としての悟り)は、世が下るにつれ力を失い、像法の時代になると証がまず消え、末法になると行も消滅し、ただ教だけが残され、やがて世界は滅び去る、という末法思想はインドに萌芽がみられ、大方等大集月蔵経には黙示録的な終末の光景が描き出されているけれど、おもに隋唐で発展を遂げる。そこには南北朝時代の激しい仏教弾圧と、のちの教団の腐敗堕落があった。そこから浄土を求める思想が現れる。
日本に仏教が伝来したとき、末法思想はすでに全盛を極めていたが、日本で仏教は新たな希望の光ととらえられていたため、末世の感覚はながらく顧みられることがなかった。
最澄作と伝えられてきた(現在は否定されている)末法燈明記は、すでに世は末法に入っているから、戒律は存在せず、ゆえに破戒もまた存在しない、という特異な思想と論理で、現存の教団の堕落を擁護するものだったという。しかしこの発想がのち法然をはじめとする鎌倉新仏教に影響を与える。最澄自身は世を像末という末法にほどちかい時代とみていたようだ。
そして平安後期に至り、末世の感覚が時代を支配しはじめる。

源信は往生要集で地獄を微細に描きつくし、穢れた現世を厭い、浄土を求める思想を展開する。《人間の行為は、それがたとえ善意に基づくものであっても、結果において他人を不幸に陥しいれる危険性、すなわち罪の要素をもつものではないかという疑問が残る。まして人間が煩悩に満ちた存在である以上、惑と業と苦が連環して止まることがないという命題は承認せざるをえないではないかという誘いに惹かれてゆく。煩悩が罪の要素であることが決定的だとすれば、人間は宿命的に罪の子であるといわなけれなならない。したがって、罪人としての人間は生死の流転により永劫に脱出することができないことになる。煩悩によって動かされる行為のために、人間は地獄、その他で残虐な刑罰をうけねばならないが、人間の背負う苦は来世のみには限られない。「厭離穢土」篇の人道についての叙述によれば、現世の人間の存在そのものが不浄に満ち、苦を負い、無常を本質とするものなのである。責苦はむしろ現実の世界において実現しているといってもよいのである。》
末法思想はこうして源信によって内面化の道が拓かれた。
藤原家全盛期にもう時代は頽廃を極め、飢饉・旱魃・洪水・地震・大火・疫病といった災害、夜討強盗や地方武士の反乱に僧侶の擾乱などがあいつぎ、貴族たちは末世におびえ、世界の終わりを感じ、日記に不安を書き記した。
藤原資房の春記には《関白頼通という人物は、国家の安全を希って努力する熱情をもたず、また彼の政治方針がやがて身を亡ぼすに至るであろうということを洞察する力も欠いている。これは彼の側近に、彼の政治について直言を呈する忠実なる臣がいないが故であろう。自分のごときは、ただ末世に遭遇せざるえなかった運命を悲嘆するのみである》と書かれているという。これはまさしく現在の日本の政治状況そのままではないか。
ただし、面白いことに保元の乱の首謀者として知られる藤原頼長だけは同時代の貴族と違い、末法思想に興味を持たない。彼が書き記すのは己の出世と権力欲、そして失脚への怖れだけだったという。末法にたいする自覚も反省もないかかる人物によって、乱世が決定的にもたらされたことはじつに興味深い。
極楽往生を願う平安貴族の美意識は絢爛たる仏教遺産を生み出したが、それが末端の貧しい民衆にまで滴り落ちることはない。そうした民衆の救済を目指したのが法然と親鸞だ。特別な行を施さなくとも、ただ一心に念仏を唱えさえすれば人は救われる、というその教えは、現世の変革を放棄し死後の世界のみを希求し、内面さえ変えればすべてが変わるという、現代人で唯物論者の俺には必ずしも納得できない考え方だが、乱れきった世界で持たざる者を救うためには、こうした思想が必要だったのだ。
法然と親鸞、殊に親鸞は現代知識人に持ち上げられすぎた反発から俺はいまのいままで敬遠していたのだが、やはりきちんと読んでおかねばならないようだ。

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