記憶の不思議

藤原頼長のことが気になって、元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』を読み、なかなか面白く、あらためて頼長に興味がわくが、今回書きたいのはそのことではない。
文中「大庭景親」という東国武士の名をみたとたん、とつじょ花沢徳衛の顔が浮かんできて、いまから四十年以上前の大河ドラマ「草燃える」で、景親を演じていたのを思い出したのだ。
念のため調べてみると、わずかに記憶違いがあって、景親役は加藤武で(こっちは記憶にない)、花沢徳衛がやっていたのは兄の景義だったが、それでもなぜこの名をみて脊髄反射のように子供のころ観ただけのドラマの俳優を思い出したのか、不思議というほかない。この四十年間、思い出したことはなかった。しかも花沢徳衛は石立鉄男主演の「気まぐれ本格派」というドラマに出ていたので、そのいかにも古来の日本人といった風貌とだみ声は知っていたものの、役者名を知ったのはもっとずっとあとだったはずだ。
それまで「草燃える」の俳優のことなど完全に忘れていたのに、このごろになって、九条兼実という名をみると烏帽子をかぶった高橋昌也の横顔が、後鳥羽院ときくと尾上辰之助の姿と「まろは流されたいのじゃ」というセリフが、まるでシニフィアンとシニフィエが結合したように連想されてくる。
奇妙なのは、そのころ歌舞伎なんて観てないし、早世した辰之助の名前も知らなかったはずなのに、なぜかドラマで後鳥羽上皇を演じていたのが辰之助だというだけは知っているのだ。
もしかするとタイトルクレジットでみた名前を、意識の届かない記憶の貯蔵庫にしまいこんでいたのかもしれない。

ところで、子供のころに見たドラマや映画やマンガの物語を克明に記憶してる人はけっこう多い。でも俺は、断片的な場面やセリフなどは覚えているけど、物語をまったく覚えていない。「草燃える」でも、大庭景親や景義がどんな役どころだったかまるで覚えていない。
劇評講座に通っていたとき、自分の文章に舞台のあらすじが書かれていないと何度か指摘されたことがある。そのときは気づかなかったが、俺は芝居のあらすじをしっかり記憶してることがあまりないのだ。これは自分が反物語的な前衛劇実験劇を好んで見ていたからだろうけど、というより物語をはじめから好まないからこそ、前衛的なものに惹かれるのかもしれない。
ちょっとまえ、女装小説家の仙田学氏が、読書感想文より内容の要約を書かせたほうがためになる、とつぶやいていて、なるほどと思った。俺など内容をつい疎かにしてしまうから、あらすじ紹介をきちんと書くのは有益かもしれない。

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