詩と箴言:マックス・ノルダウ『現代の堕落』

よく「その人のことを信じようと思います」という言い方をするけれど、実はそれって、自分が信じたい“理想の人物像”を勝手に期待しているのではないか、って。だから「裏切られた」なんて言葉が出てきたりして。でも本当は相手が裏切ったわけではなくて、自分には見えていなかった部分が見えただけだとしたら? その時、すべてを受け容れられる自分でいるためには、どうすればいいんだろう……(芦田愛菜)

若し到底、人間が順応し得ざるほどに生活が多忙となり来るが如きことが続くとせば、人間は之に順応せんとはせずして、多忙ならしむる生活状態を取るに至らん。進歩を捨てて其生活力の耐うるほどの処に於て止まるならん。汽車、汽船が生活を多忙ならしむるならば、汽車、汽船を廃すべし。電信、電話が余りに煩さく感ぜられるならば、電信、電話を排すべし。(マックス・ノルダウ『現代の堕落』 原文は旧字旧仮名)

数年前、荒正人「終末の日」を読んでいると《マックス・ノルダウの『堕落論』の「人類滅亡の思想」》という記述にぶつかった。これはどのような思想なのだろう、と興味を抱いたが、詳細はわからなかった。ノルダウは「堕落論」(「頽廃諭」「退化諭」ともいう)において、十九世紀末の文化思潮を徹底批判した人らしい。その後、ダミアン・トンプソンやマット・リドレーの本にも引用があって、それなりに有名で、欧米では現在でも読まれているようだ。加藤洋介『D・H・ロレンスと退化諭』という好著にも大きく取り上げられている。
邦訳『現代の堕落』は大正時代に出されたもので、入手は困難だが、国会図書館のHPから閲覧できるので、印刷して読もうかと思っていたが、なにしろ壊れかけのパソコンから数百頁分コピーをとるのも大変で、どうしようと思っていたら、アマゾンで古書が売りに出されているのを発見し、三万円ちかくするし、そう面白くもないだろうとは思ったが、コロナで外出も控えて蓄えもあるので、つい購入してしまった。
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読んでみると、やっぱりそれほど面白いものではなく、人類滅亡についてもすこしふれられているだけで、深い考察があるわけではない。病理学的裁断批評といった感じ。まあ同時代の芸術文化をこれでもかと罵倒している。ニーチェや象徴派や世紀末美術は病的といってもあたっているだろうけれども、トルストイからイプセンからゾラやワーグナーまで、誰彼構わず病人扱いしていて、ベルレーヌにいたっては風貌まで描写して狂人よばわり。いまなら訴えられるだろ、これ。
というわけで、うえの一節は人類は滅亡しない、滅亡しそうになったら自己調節して生き延びるだろうとのご宣託でした。

最後に久岡加枝『グルジア民謡概説』から、カルトリ・カヘティ地方の子守歌を。

 菫よ、薔薇よ
 野に咲くかわいい花よ、小さい花よ
 こんなにも心地よさそうに、無邪気そうに
 何がお前を眠らせているのだろうか
 母の胸のなかの、暖かい住み処で
 心地よさそうにしている
 母の乳から小さな手を離そうとしない
 眠れ、私のよい子よ
 菫よ、薔薇よ、小さなカナリアよ
 薔薇の花束よ
 私の子守歌に耳を傾けなさい
 目をあけて、よく見てみなさい、この世界を
 この世界の厳しさを知るために
 しかし、しばらく寝ていなさい
 まだお前には早いだろう

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