世界文学大作戦:壬辰録の巻

おもに非西洋世界の文学を紹介する世界文学大作戦、今回紹介するのは朝鮮の古典戦記物語「壬辰録」です。

壬辰録をさいしょに読んだのは、鴻農映二編訳『韓国古典文学選』でだった。壬辰倭乱とよばれる豊臣秀吉による朝鮮侵攻を描いた作品だが、同書の中でも最も奇天烈で、なんじゃこりゃ、と驚嘆した。
なにしろ、秀吉(平秀吉になっている)も藤堂高虎も加藤清正も黒田長政も戦地で敗死してしまう。高虎は全身鱗に包まれ、秀吉に至っては、鵲や黒雲に変身して天を舞う。とちゅうに武将たちや美女の断片的な逸話が挿みこまれている。
しょっぱなから関雲長が登場し、要所要所に現れることから、三国志の物語が朝鮮民衆に愛され、影響をあたえたことが窺えるけれど、幻想味は三国志演義より封神演義に近いかも。ほとんど戦というより妖術合戦だ。
編訳者鴻農映二はこれを作者不詳とし、底本を明らかにしてないが《いわば民衆の共同制作で口伝えに量産された。従って人名・年代・戦闘形態などは史実と異なるばかりでなく、多分にフィクションが混ざっている。歴史小説というよりは伝奇小説といったほうが合っている》と記す。

そのあと崔官『文禄・慶長の役』を読んだら、壬辰録のことがちょっとだけ取りあげられていて、異本は多く存在するようなのだが、そこに記された内容をみるかぎり、どうも鴻農映二の本とはかなり違うようなのだ。つまり、こうまで奇怪な物語ではないらしい。
さらにそのあと、野平俊水『韓国・反日小説の書き方』(後述)を読み、鴻農本の壬辰録は後世の偽作ではないかと疑うようになった。安能務訳の『封神演義』が翻案の域をを超えて、中国文学者からは二次創作と解されているように、鴻農映二の創作ではないにせよ、現代韓国人の著者の手が入っているのではないだろうか。

二年ほど前に、もうひとつ別の翻訳が存在すると知った。宇野秀弥の朝鮮文学試訳という、詩歌や民話や民俗劇など含む古典文学を網羅し単独で翻訳した全七十巻のまさに偉業で、どうやら私家版の非売品だったらしく、国会図書館にも全冊は収蔵されていないようだ。
しかし壬辰録の巻はあるので、予約を取って国会図書館まで行って閲覧し、複写してきた。

DSC_0080.jpg
解説によると、壬辰録にはおおまかにわけて二種類あるそうで、ひとつは知識階級を対象に、史実に忠実に漢文で書かれたもの、いまひとつは庶民向けに、軍談風にハングルで書かれたもの。こちらも後者が採用されている。
内容は鴻農本とあまり変わらないものだが、美女の計略にかかって殺されるのが藤堂高虎でなく小西行長になっていて、小西は寝るときも片目を開け、物音を聞くと両眼を開いたまま眠っているという。ギリシャ神話のアルゴスみたいだ。物語の最後に、朝鮮側の講和の使者として、惟政という若い僧(実在の人物)が日本を訪れ、彼を恐れた倭の皇帝は策略を用いて暗殺しようと試みるが、惟政の神通力によってことごとく失敗し、ついに降伏するという逸話で締めている。

さて、野平俊水『韓国・反日小説の書き方』によると90年代の韓国では反日書とよぶべき本が多数出版されたそうで、著者は壬辰録をそうした反日小説の元祖とし、驚異的売り上げを記録した反日小説『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』(邦訳もあるが、読んでない)と共通する点が多いという。俺は鴻農版を現代小説と疑ったが、現代小説のほうが壬辰録をまねたのだ。
野平署には、のっけから『ウイルス壬辰倭乱』なる小説が紹介される。あらすじは《一九九九年二月、日本では富士山が爆発、日本人は「天照大神」の無情を嘆きながら数十万人が死んでいった。東京や名古屋、大阪は灰になり、このスキに乗じて天皇と自衛隊はクーデターを敢行、デマを流して韓国人を虐殺しながら独裁政権を樹立する。天皇は数年以内に日本が沈没するという報告を受け、日本人を救うために朝鮮半島を侵略して韓国人を細菌兵器で抹殺し、日本人を移住させる作戦を発動させる》が、これを韓国の諜報員が阻止するというもので、「一体どんな本を百冊読んだらこんなおもしろい話が書けるのか」と野平俊水も感心しているが、さして評判にもならずに消えてしまったという(もったいない、翻訳してほしかった)。

ようするに近代以前の民衆エネルギーが壬辰録という幻想譚を生みだし、それが現代の小説にまで力をおよぼしているということだ。
現在の韓国は反日小説群で予言されたとおり、民度・文化・政治経済、どれをとっても完全に日本を凌駕しているだろう。これが民衆的エネルギーというものだ。
それにしても宇野秀弥の朝鮮文学試訳、これほどの業績が埋もれているのは文化的損失だろう。ぜひとも復刻刊行してもらいたいと心から願う。
本日は最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたのポコチンには、何が残りましたか?

この記事へのコメント