演劇評論家の「政治表現」について

そういえば、今年になってから芝居一本も観てない。

 先日の東京新聞には、こんな記事があった。

 国内で初めての映画単科大学・日本映画大学(川崎市麻生区)が教授らに対し「学内で一切の政治的活動を行わない」との内容の誓約書への署名を求めていることが分かった。昨春、教授に昇格予定だった非常勤講師が「芸術と政治は歴史的に極めて密接な関係があり、芸術表現を講義するのに政治的な表現は避けられない」と署名を拒否し、佐藤忠男学長あてに公開質問状を提出する事態に発展している。
 この元講師は演劇評論家の○○○さん(65)。二〇一一年の同大開設当初から非常勤講師を務め、一二年四月から教授に就任する予定だったが、正式契約の際に署名を求められ拒否。契約は不成立となった。
 翌五月、〇さんは映画評論家の佐藤学長あてに「映画批評はかなりの部分において政治的活動の一つではないか。政治的判断と関わらない形でどのように可能なのか」などと質問状を送付。誓約書提出義務の撤廃などと謝罪を求めた。
 大学によると、誓約書への署名要請は前身の日本映画学校時代からあり、これまで拒否した教授らはいなかったという。広報担当者は「特定の政党や宗教団体の考え方を持ち込まないという趣旨。見解の相違があった」と説明する。
 〇さんは「表現活動を過度に萎縮する点で表現の自由などの趣旨に反する」と訴える。


 この件についてはネットなどでちょっとだけ知ってはいた。わざと名前は伏せたが、この演劇評論家の質問状もネットで読むことができる。教授の政治活動を禁ずるなんて誓約を求める大学は例がない、と書かれている。本当かどうか俺は知らないし、知ったことじゃない。
 俺が入院していた病院でも、政治・宗教の活動を禁じていたが、ちょうど衆院選の期間だったので、ふつうに選挙の話はしていた。おなじ病室にいたオヤジのところに、ネトウヨみたいな女が家族でもないのに毎日訪れて、見舞いというより政治談議がしたくてたまらないらしく、自民党万歳的な話ばかりしてくので傍で聞いてて超不愉快だったが、そういったことじたいを政治活動とは呼ばないだろう。だが、もしこの病院で俺が「〇〇党に投票してくれ」と誰彼かまわずしつこく頼んだら、これは政治活動ととられても仕方あるまい。
 つまり、この演劇評論家は特定の政治活動と一般的政治発言とを、意図的に混同させているように思う。
 それはそれでよい。質問状だけ読むと、演劇評論家の言い分はもっともに思えはする。じっさい、ネット上では、弾圧に抗した演劇評論家が佐藤忠男と映画大学を糾弾している、というわかりやすい図式が横行している。
 つまり、この演劇評論家の「政治活動・政治表現」の実態についてほとんどの人が知らないわけだ。そこで俺が仄聞した逸話を紹介しておく。
 正式名称はこの際どうでもいいが、劇評家協会とかいうのがあって、例の演劇評論家は九〇年代半ば頃に、〇ア〇ーアー〇という機関誌を創刊し、責任編集していた。どうやら批評空間みたいな雑誌をつくるのが夢らしく、会員はあまたいるにもかかわらず、「現代思想」(死語)的な非会員の書き手を多用し、かたよりすぎているとの不満があったようだ。
 その雑誌で公募している演劇評論新人賞の選考会があったとき、最終選考に三谷幸喜論と平田オリザ論が残った。東大の学生(だか院生だか)が書いた平田論は難解として敬遠され、早稲田の学生(だか院生だか)の三谷論は読みやすいとして選考委員の支持を集めた。
 ところが、選考委員のひとりだった例の演劇評論家は、「こんなミーハー的な批評を載せるのは雑誌の方向性に関わる」とかなんとか言って三谷論の受賞に猛反対したのだそうだ。けっきょく両者佳作に落ち着いたが、編集方針に批判的な委員のひとりは選評に、この雑誌は会員の総意を反映するのかそれとも一部の先鋭的な意見が優先されるのか、と嫌味を述べていたほどだ。で、次号から、この演劇評論家は責任編集を降ろされ、協会を離れ(追放されたともっぱらの噂)、以後、演劇誌クラッシャーとして雑誌を創刊しては潰す作業を地道に繰り返している。
 この評論家、さらに数年前、前衛演劇アソシエーションなるものを立ちあげた。やっぱり「現代思想」的な方向で勉強会のようなことをやっている。
 そこに参加していた舞踏家があるとき、浅田彰を批判したら、件の演劇評論家は「そんなこというな」的なかんじで抑圧してきたそうで、喧嘩になってその人は退会してしまったという。かの演劇評論家のことをスターリン主義者だ、と怒っていた。
 つまるところこの演劇評論家、どうやら気に入らない人を抑圧し排除する傾向にあるらしい。そうしたみずからの党派性を押し隠し、政治活動を一般論にスリ変え、俗受けしやすいかたちで非難してるわけだ。まるで東大辞めたときの西部邁みたい。
 この評論家のかつて盟友だった別の演劇評論家が、現在劇評家協会を牛耳っている。この人も党派性丸出しだ。こんな派閥抗争ばかりやってるから演劇批評が衰退してゆくのだ。校門でビラでも配らなきゃ有名になれないぞ、と人を煽ってばかりいる某評論家がつぶやくのも無理はない。
 世も末だ。

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