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アップリンクファクトリーでアフガニスタンの映画三本みる。ひさしく足を運んでいなかったら、アップリンクっていつのまにか場所移転してたのね。 セディクバルマク監督の長編「アフガン零年」は、タリバン政権下での少女の運命を戦慄的に描く。冒頭、外で働くことを禁じられ、窮乏を訴える女性たちの街頭行進が弾圧され、逃げまどう姿を、旅行者の記録撮影というかたちで映しだしているが、それがしだいに技巧的に変化し、視点はやがて、家の中に逃げ込んだ主人公の少女に移ってゆく。 男手を戦争で失い、貧困にあえぐ一家は、おびえる少女の髪を切り、少年の格好をさせ、父の友人だった牛乳屋へ働きに出す。しかし町では少年が集められ、少女もタリバンの学校へ入れられてしまう。そのうち、少年達は少女が異性であることに気づきはじめる。…… とちゅう少女が牛乳屋に戻ると店じまいしていたり、家に帰ったりしているので、ここらの状況が、寄宿舎に入っているのか、通学させられているのか、よくわからない。家に帰ったなら、そのまま戻らないで隠れていればいいと思ってしまうのだが、また学校にいたりするのがのみこめないし、集団生活を送っているのなら、女だとバレないのはおかしい。 結婚式が、花婿のいないまま女達の手でひそかに行なわれ、タリバンを罵る歌をうたい踊っているが、騒ぎを聞きつけたタリバンがやってくるとすかさず葬式のふりをして泣き伏したりする場面は、現実にあったことかもしれない。イラン映画に、結婚式へ向かう家族が事故死してしまい、披露宴がまたたくまに葬式に早変わりするのがあったのを思い出す。 なんとも重苦しい映画だが、主人公の少女はかわいいので、もっと明るい映画で活躍できる日がくることを願ってやまない。俺は反近代主義者・亜細亜主義者だけれど、自然な生活からかけはなれ突っ走る、抑圧的な原理主義は批判されねばなるまい。 同じ監督による1985年頃の短編「ストレンジャー」は、決して歩みよることのできない近代と前近代の衝突がひきおこす悲劇を描いている。 ホユマンバイズ監督「サクリファイス」(これぐらい日本語の題にしてほしい、上も)は、「僻地の村で信仰されている呪物崇拝の是非を問う作品」と紹介されているが、呪物崇拝とはまた質の違う、物欲にまみれたインチキまじない師を非難するものと考えたほうがいいだろう。人間の生活が自然と切り離され、秩序が崩壊したとき、伝統はいかがわしいものに変わるのだ。単純に近代化を推し進めればいいというものではなく、解放は近代だけがもたらすものでもないのだ。 なおこの映画祭は、上映作品を替えて3/11と4/15にも行なわれるそうです。興味あったら、ぜひどうぞ。 |
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