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zoom RSS 原田伊織『明治維新という過ち』

<<   作成日時 : 2016/11/14 14:02   >>

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さて原田伊織『明治維新という過ち』の感想

司馬遼太郎の、明治維新政府への思い入れは、俺にはどうしても理解できなかった。とりわけ大久保利通の評価は頷けない。なのでこの本はなるほどと共感するところが多かった。

著者によれば、江戸の幕臣の日本近代化構想は、いわゆる勤皇志士などよりはるかに先進的なものだったという。著者は詳述してはいないが、江戸時代の社会システムもまた高度な文明として評価されるべきものらしい。たしかに石川英輔の著作にみられるとおり、江戸社会のエコロジカルな視点を、現代の大量消費社会は学ばなければならないだろう。

先進的な幕臣(徳川慶喜や勝海舟は含まれない)に対し、長州人はただのテロリストにすぎず、とにかく異常な殺戮を行った。そうした狂気は吉田松陰にはじまるが、さらにさかのぼると水戸光圀に行きつく。水戸学とは、とうてい学問の名に値しない空虚な観念論にすぎないという。

しかし著者の佐幕派の心情、倒幕派嫌いはいくぶん実体験からきているように思われる。70年安保騒動時、著者は全共闘や民青に対抗していたとのべている。そうした叛乱する学生の純真な狂気が、尊皇攘夷テロリストに重ねあわされているのだろう。そしてどうやら著者は、民主党政権を維新政府に重ねあわせているらしい。だが腐敗を極めた安倍政権にたいしては、なぜか態度を留保している。

著者は孝明天皇暗殺をほのめかしてはいるものの、それについてはこの本ではふれていない。薩長の倒幕軍の実態とは、錦の御旗を偽造した反乱軍でしかなかった。二本松・会津での戦争で長州人は卑劣のかぎりをつくしたという。

なるほどと読みながら、賛成できないのが西郷隆盛への否定的評価だ。俺はどうしても西郷びいきなので色眼鏡でみてしまう。大久保や岩倉、長州人は卑劣だが、西郷は無私の人という信仰のようなものが俺にはある。

東北の戦争での西郷の行動を長州人にくらべてはるかに優れたものと考えてはいるようなのだが、にもかかわらず著者が西郷を嫌悪しているのは(『大西郷という虚像』という本も出している)、江戸の薩摩藩邸に浪士を集めて乱暴狼藉を働かせ、幕府を挑発し、戦争に仕向けた、という認識があるからだ。西郷による大悪謀として、この点は司馬遼太郎も一致している。

けれどもこの事件が西郷の主導によって行われたとする確たる証拠はないらしい。海音寺潮五郎の未完に終わった大長編史伝『西郷隆盛』ではこれを否定しているのだ。

しかし西郷が島津斉彬より気質的には久光に近かったという指摘は興味深い。竹内好は「西郷を反革命とみるか、永久革命のシンボルとみるかは、容易に片づかぬ問題だろう」と書いている(現代日本思想大系9『アジア主義』)。大いなる矛盾を抱えているから西郷は魅力的なのだ。

とにかく、この本を読んだ俺にとって、明治維新はますます絶対悪とよぶべき存在になった。そして安倍政権も同じく全否定すべき存在だ。韓国やアメリカの反大統領デモは報道して、国内の反原発・反安保法・反TPP・反米軍基地のデモは報道されない。こうした異常は、攘夷がなんら思想的総括をせず開国に転じ、そのまま権力を握ったことからはじまったのだ。旧約期の明治とか言ってるヤツはキチガイなのだろう。

かくして、今日も正義は、私によって守られた。

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