劇評20 江頭2:50ソロライブ

知人のHPに載せたもの

  無政府主義的、肛門的
 江頭2:50ソロライブ「行動1号」をみる(12/14 ザ・スズナリ)、というか、これはもう、みないわけにはいかなかった。超満員。やはり真の創造力を持つ芸術家は、民衆を惹きつける魅力を持っている。といっても客層はかなりキモイ。はじまる寸前からすでに異様な盛りあがり。まるで全員が谷○○○状態。江頭が登場すると、最前列にいるたぶん女が、雄叫び、もとい、雌叫びをあげている。俺の斜め前に坐った男は、なにやらブツブツつぶやいていて、芝居中ずっと江頭の動作を真似たり、セリフを繰り返したりしていた。来てはいけない場所に足を踏み入れてしまったのか。もっとも江頭はいきなり裸体で登場しているから、これに感動しないほうがおかしい。肛門に筆を差しこみ、墨汁をたっぷり染みこませ、きように尻を動かし、文字を書いてゆく。「薔薇」 まさに名人芸。手では書けない六ヶ敷い漢字も、アナルでならよういに書けるのだ。「弘法も筆のあやや」 これでもう爆笑だ。「あやや」という固有名詞は、それだけで笑える存在として、ここでは受けいれられている。そして目もくらむような、超芸術の世界に俺達はいざなわれるのだ。立ちFUCKを強要されまくる女を演じたピン芸は、往年の悠玄亭玉介師匠の屏風芸をみているかのようだ。絶頂に達するとゲロを吐いてしまうという設定も素晴らしい。そしてコントのあいまには、江頭が過去に出演したテレビ番組の録画が流される。全身をひきつらせた異常の振付で歯止めも効かなくなって踊りまくる江頭により、恐怖のどんぞこに陥れられた島谷ひとみの顔面もまた、ひきつるのだ。その狂気の芸風は、ここにこそ真の芸術家がいるのだと確信させられる。じつはコント自体はわりとしっかりした芝居なので、ビデオのほうがなにをしでかすかわからない江頭のアナーキーな側面をはげしく伝えてくれる。そして俺達を一番感動させてくれたのが、イラク派兵された自衛隊ネタだった(公演時まだ派兵は決定されていない)。作・演出の大川豊らしい毒気にあふれた笑いで、きょうびこんな一人コントができるのはほか松元ヒロとダメじゃん小出ぐらいのもんだろうが、そのさきがすごい。敵のテロ攻撃に耐えつつ給水するため、江頭はペットボトルミサイルにゆわえつけた栓を肛門に捩じこみ、発射させる。こらえきれず脱肛。それにしても、ここまで肛門を酷使したら、ほんとに脱肛し、ほどなく括約筋がゆるみ、糞尿垂れ流し状態になってしまうのではないかと心配だ。江頭の肛門と南部虎弾のタマキンこそは、現代日本が生んだもっともすぐれた芸術文化だからだ。イラクでは金が必要になる、と、いきなり、肛門から黄金色の固形物を搾りだす。客席からは悦びにみちた声。だが江頭はその雑菌まみれ(?)のかたまりをいまにも破裂しそうな風船にいれ、客席に投げいれる。客は恐慌状態に陥り、怒り、怯え、悲嘆、恐怖、絶望、歓喜のいりまじった叫び声をあげながら、他の客のほうへ風船をはじきとばしてゆく。まえにククラチョフの猫劇場で巨大な風船を客席に投げ込んで、跳ねとばしていくのをみて、観客と舞台が一体化するかんじですごく面白かったのだけども、ここでは客席を徹底して無秩序に追いやっていく。みながら俺は、八〇年代のワハハ本舗から九〇年代のハイレグジーザスを経て、日本の超芸術もついにこれほどの地点にまで到達したのかと感慨を深くした。

  マッチ擦るつかのまの屁を尻吹かし実出づるほどの祖国はあやや

と詠んだのは俺だが、それにしても肛門から搾りだされ、民衆の頭上を飛び交う黄金色の物体、これぞまさしく、この国のかたちだ。邪悪な小泉のウンコ色の野望ために、つまり自衛でなく護衛のために身を捨てる必要などあるのか、と大川豊と江頭2:50はアナ―キーに問うているのだ。インチキな改革派がはびこっている。改革は(前進は)可能か、などと浮かれながらと問うまえに、それは必要とされているのかと問うべきだろう。尻の穴(ケツの穴は重言)に差し込んだ火のついたマッチが屁によってほんのいっしゅん吹きあがり、燃えあがり、それとどうじに、黄金色の実がボロっと漏れる。肛門主義者にとって国家など、このていどの存在でしかない。風船はいつか破裂し、固形物は客席に飛ぶ。「エガちゃん、これどーすんだよ!」 マジで怒鳴る声。混乱と肛門に支配された時間もすぎ、最後はちょっとホロっとさせる芝居で締めくくる。でもここまでやったなら、最後までメチャクチャにしてほしかったなあ。

 追記 今年にはいって予定されていた次回のソロライブは、江頭の体調不良により中止。そしたら切符代は振込手数料もふくめて払い戻してくれた。金なら返せんとかいってながら、すこぶる良心的でないか、大川!

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