映画・演劇随想 小豆島デコ歌舞伎の謎

知人のHPに発表したもの

   平成十六年八月の闘い
 去年出された労作『2004「総合&組技格闘技」選手名鑑』には、格闘家だけでなく、世界各地の格闘技が紹介されているのがお値打ちだ。たとえばポリネシア・ロツマ島の名もない相撲の特色は「機を見て突然飛びかかりはじまる。」(これはただのケンカ、もしくは通り魔じゃ…?) スペイン・カナリア相撲、トルコ油相撲、セネガル相撲、パキスタン古代相撲の選手までちゃんと載っている。知ってる人なんかいないと思うのだけど。
 一昨年から昨年にかけてのサムゴー来襲、K-1でのムエタイ選手の相次ぐ活躍、映画「マッハ!」公開で、ムエタイ最強神話も復活しかかっている。すばらしいことではないか。ちかごろはやりつつあるタイの娯楽映画は何本かみたけど、さして面白いとは思わなかった。でも「マッハ!」はまるっきり香港映画のパクリなのに、香港のどのカンフー映画より面白かったぞ。最後の気の抜けたような歌い方の主題歌もよかった。ぜひ続編を作って、ドニーイェンあたりを悪役に据えて、ムエタイVSカンフーをやってもらいたいな。俺も邪悪な○○○人に首相撲からの膝蹴りを叩きこんでやりたい。
 映画の終盤にもでてきた、ミャンマーの古式ムエタイ、ムエカッチュアの大会、ミャンマーラウェイが開催され、日本選手が出場し、『紙のプロレス』ではかなり大きくこれを取りあげていた。手袋ははめず、布を巻きつけただけで殴りあい(ジャンクロードバンダムの「キックボクサー」では布にガラスの破片をくっつけるという悪趣味なことをやっていた)、肘膝はもちろん、投げ、頭突きもありの苛酷な闘いだ。でもミャンマー選手達も日本のキックルールで試合したらとたんに勝てなくなるのだろう。同じ『紙プロ』にはタダシ☆タナカによるK-1アジア大会の醜悪な茶番が報告されている。この大会はしょせん曙を勝たせるためにデッチあげられたもので、真にアジア格闘技文化の発展を目指したものではないのだ。週刊ファイトでは井上義啓がPRIDEでのヘッドギヤ着用を提唱していたが、おもうにこれまでの格闘技界は、総合格闘技戦と異種格闘技戦だけがあって、試合(ルール)の多様性というものは顧られなかったのではないだろうか。格闘技もまた、共同体の文化として育まれ、息づいているものだ。文化を支えるこまかな差異をつくる規則が消滅すれば、文化も死ぬ。K-1とかPRIDEみたいな格闘技のグローバル化だけでなく、文化としての格闘技の発展・交流・相互理解のためには、さまざまなルールの試合がおこなわれることが望ましい。アテネで開催された帝国主義の祭典、天挑五輪大武会もやはり文化の差異を消失させたところで成立している。自然に根ざした共同体の文化を生かしたかたちでの競技の多様化と相互理解を目指さないで、ただグローバリズムのなかでのナショナリズムに依拠して大喜びしているのはほんとうに愚劣だ。だいたい谷亮子の汚い顔みてなにが嬉しいか。
 谷亮子より熊田曜子だ。

 レニーハリスピュアムーブメント「レパートリー」のすばらしい踊りをみて(於:パークタワーホール)、ふたたび共同体と文化について思いを馳せる。
 彼らの踊りはブレイクダンスといわれるものだったが、この呼び名は誤称でB-boyってゆうんだほんとはね、とチラシに書いてあった。但なにがどう間違ってるのかは知らない。技法によっていろんな名称があるみたいだ。ヒップホップをはじめて舞台作品に仕上げたのがレニーハリスだという。ヒップホップとは紐育の黒人文化の総称だと理解してるのだけど(間違い?)、これはひとつの共同体が生みだしたという意味ではもしかしたら最後の文化なのではないか。しかしさすがに二十世紀も終わりになってからのものだけあって、個人の表現を中心にしていて、おのおのバラバラの舞踊の技巧はものすごいのだけれども、集団での踊りはなんとなく冴えない。観客と舞踊手が分け隔てられている近代の表現というだけでなく、複数の踊り手自身がもはや結びつけられるものを持っていないようにすら感じられる。なら無理に魅力のない群舞をみるよりも、路上で個個の動きをみていたほうが面白いのじゃないか。つまり彼らはもうヒップホップ伝統芸能保存会化しているのではないのか。ヒップホップ自体はもう商業主義にかこいこまれ、表現運動としての生命を終えているのだろう。
 飛躍するが、俺はここで私淑する映画評論家佐藤忠男が不条理演劇についてこう書いていたことを思いだす。《どだい、人生は虚無だ、とか、人生に目的は存在しない、などというようなことは、芝居のテーマにはならないと私は思っている。》《私が演劇を必要とするのは、この世界を愛するに足るものとしてとらえ直すためであり、巨視的には虚無であり目的もないかもしれないこの世界に、さしあたりの意義と目標を見出すためである。》《劇場で見るということは、そこに提出された価値や思想を多勢で分け合うということだ。》(『演劇と変貌』) このことばに深い、とおもってしまうけど、健全な近代主義者の佐藤は「反演劇」にたいして「演劇」の立場から批判しているだけなので、演劇概念全般の転回を志す俺の考えとはたしょう異なる。演劇、といわず芸術というものは本来すべて、共同体から発した表現で、集団およびそれが属する自然環境の安定と調和への祈りだったのだろう。それが人間と自然が切り離されて、やがて人間同士が切り離されて、「個」のみの、さらには人間中心主義を乗り越えたつもりになって形式化を施された「作品」のみの自立した表現となってしまい、表現と世界との連関が失われているのが現在なのだ。芸術とはこうしたさまざまな疎外から連関を取り戻すためにある、というのが俺の基本思想だ。
 アフリカ系アメリカ人にとって失われた共同体文化が、アフリカ大陸にはまだ生き残っているのだろうか。

 フイルムセンターでは日本アニメーション映画史と題して、初期の千代紙映画から戦後に至るまでの知られざる多くの漫画映画が上映された。だのに今年の夏のあまりの暑さに、これはみたことあるからいいやとか、あれこれ理由をつけて、けっきょく足を運んだのは三回だけ。大藤信郎の古事記集と、政岡憲三集、荒木和五郎集だ。古事記は期待したほど感心しなかったけど、ひそかに敬愛する佐藤忠男がきちんと入場料を払ってみていたのに感心した(ハスミ某なら只見するのだろう)。あとの二回は本当に素晴らしかった。政岡憲三の「くもとちゅうりっぷ」「桜」はみぶるいするほど美しかったし、「すて猫トラちゃん」はちょうどトラ模様の捨て猫を育てていたものだから、涙がでそうになるくらい感動してしまった。子猫のケンカ場面で、いっしゅん爪がニョキっと出るあたり心憎い。そういえば写真美術館で催されていた藤城清治の影絵展でも、制作風景記録映像に、画中でおなじみトラ模様の猫が机上にはべっていた。荒木和五郎の戦前からの影絵映画も、微細な生命が画面のあちこちで息づいているかのようで、藤城の仕事に勝るとも劣らない。白黒なのが残念。そうとう手間のかかる作業だったろうと推察される。たまたまうちに、いつのものか憶えはないが、日経に荒木和五郎が一文を寄せている切り抜きがあって、それによると《人形には人間と同じ数の関節がある。腕や足が動くのはもちろん、くるぶしまで動かせる。しゃべる時には口も動くし、まつげを動かしてまばたきさせることもできる。》 それを一コマ一コマ動かして撮ったわけだ。彼らの作品をみると、もはや漫画映画というより工芸品だ。それは少年のころ国立博物館でみた並河靖之や宮川香山の陶芸とか、蒔絵や根付にふれたときのような感動を思い起こさせる。伝統工芸の流れのなかでアニメーションを捉え、さらにはその底に潜む汎神的感覚を捉える必要があるかもしれない。俺はおたくを想起させる「アニメ」という語が好きではないのだけれど、これらの作品はアニミズム映画というふうに考えたらいいと思う。
 こいだけすばらしい作品群だったら、ほかのも全部とまではいかなくとも、できるかぎりみとくんだった。同時期に都現代美術館でやってた漫画映画展はぜひ行こうと誓ったのだが、すでに時間がなかった。

 人形といえばイスラエルの劇「ファーレンハイム」が、「仮面と身体」を主題としたシアターX国際舞台芸術祭で上演された。俺はシャロン政権の暴虐に反対する意味もあってこの芝居をみにいかなかったのだが、人形をつかった劇と知り、みときゃよかったと後悔した。どのような遣い方をしたのかよくわからないが、写真をみると、背広を着た人形の背後から、遣い手が抱えるようにして、人形の手は遣い手本人の手で演じ、鼻から下のない仮面型のかしらが衣紋掛けのようなもので胴体とつながってい(仮面だけが宙を浮いているようにみえる)、共演者の手で仮面部分を操っているらしい。この写真をみてるうちに、ふと連想した芝居があった。
 小豆島のデコ歌舞伎なる芸能がある。西角井正大が書くものだけにでてきて、この人形も、写真でみると、背後から遣い手が抱え、本人の両手を人形の袖からだして演ずる。ハリボテのような首は遣い手の頭にゆわいつけてある。三十五年ぐらいまえに国立劇場の面芝居の企画で上演されたと記録に載っているのだが、郡司正勝の本には小豆島で絶滅したデク芝居のカシラをみた、とあり、デコ歌舞伎という名称はなく、それ以上の資料をみつけることができず、俺にとっては二十年以上も謎のままだった。
 ところがつい最近、国立劇場の資料館が新設され、そこの図書室で上演時の解説を読むことができ、長年の疑問が氷解したのだ。それによるとデコ歌舞伎とは、国立公演にあたっての仮の呼び名で、芝居自体はすでに絶滅しており、たまたま人形を保存していた家の人に、教育委員会の係員が上演を勧め、復元してみたものだという。実演した所有者達も、この芝居についてはなんの知識もなく、文献も残されていないようだ。そのうえ国立でも上演の記録録画をしなかったらしい。現在はふたたび絶滅してしまったのだろう。解説(たぶん執筆は西角井正大)にはこう書かれている。《遣い手はちょうど人形を背後から抱きかかえるような形になる。黒ごを着て台詞を言い仕ぐさをつける。だから人形の振りと言うより、歌舞伎の役者の振りに近いのである。人形の人形振りとでも言おうか、いや人形の役者振りと言ったほうがよかろう。おそらく日本で唯一の存在の人形芝居ではなかろうかと思う。》
 こうなると「ファーレンハイム」の抽象化された人形とはだいぶ違ってくるが、それだけに実験劇と地芝居の違いも明瞭にうかびあがってくるとおもう。

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