イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

トムクルーズの「アウトロー」観た。アクション映画かと思ってたらかなり地味な探偵物だった。殺されちゃう女の子がややAKBの中塚智実に似てたのと、濡れ衣を着せられる男が山田零に似てるのが印象的。まあ、それなりに面白かった。

 てなわけで、「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」(監督:バンクシー)。たまたま貸ビデオ屋でみつけて、手に取ってみた。題名だけではなんの映画だかわかんない。どうやらストリートパフォーマーの記録映画らしいと思って借りてみたら、これがなんとも奇妙な映画だった。

 冒頭、顔を隠した人物があらわれ、語る。自分の映画を撮ろうとしていたある男を逆に映画にしてみた。そのほうが面白いし、教訓的だから。

 この映画の主人公になるティエリーは、かたときもカメラを手放さない撮影オタク。どんな被写体であれ、ひたすら写しまくっている。そんな彼が、いとこの街頭芸術家インベーダーに感化され、ストリートアートに興味を持ち始め、あらゆる芸術家の制作場面を記録しまくる。ただし撮影したビデオはそのまんまほっぽりだし、整理されることはない。
 そんなティエリーもたったひとり、撮影が適わない謎の人物がいた。それが冒頭に登場した男、この映画の監督であり、世界的な街頭芸術家でもあるバンクシーだ。顔も本名も公開せず、英国の街角を拠点にし、電話ボックスを盗んで加工したり、さまざまな美術館に潜入して自分の作品をひそかに展示したり、イスラエルでパレスチナを分離する壁に絵を描いたり、かなりメッセージ性の強い作品を発表しているようにみえる。
 ティエリーはバンクシーを撮影する機会を待ちつづけているが、やがて朗報が舞い込む。訪米したバンクシーの案内役として、路上芸術家を追いかけ、ロサンゼルスの壁という壁を知り尽くしたティエリーが推薦されたのだ。ティエリーは狂喜し、すぐさまバンクシーのもとにすっとんでゆく。さらに運のよいことに、後ろから手だけを映すという条件で、バンクシーの創作過程を撮影することが許されるのだ。
 どうやらバンクシーは、描いてもやがて消されてゆくみずからの街頭芸術の記録を残しておく必要性を感じていたらしい。あるとき、バンクシーは、デズニーランドの柵に空気人形をくくりつけ、立ち去る。その一部始終を撮影していたティエリーは見咎められ、取り調べを受ける。とっさにテープを靴下に隠し、カメラの記録は隙をみて消去し、機転を利かせてバンクシーを庇ったティエリーはバンクシーの信頼を得る。バンクシーはティエリーに、これまで撮影した芸術家の記録をまとめて映画にするよう勧める。ティエリーは膨大なビデオを編集し、一本の映画を作るが、これがバンクシーの気に入らない。
 ティエリーの作品は、紹介された映像をみるかぎり、断片的なショットをめまぐるしく繋ぎあわせ、えんえんと展開するもののようで、短い時間観てる分には面白いのだが、さすがに90分間このままの映像だったらかなりキツイだろう。バンクシーはあるいは体系的に整ったストリートアートの記録を求めていたのかもしれず、感覚が食い違い、ティエリーのセンスのなさに失望したバンクシーは、ここらへんからティエリー自身を記録映画にすることを思いついたのかもしれず、ティエリーに芸術家に転身することを勧める。
 バンクシーにあおられるままティエリーは創作を開始し、無名ながらいきなり個展を開催してしまう。MBWと名乗り、ウォーホールまがいの作品を多数展示し、バンクシーの推薦文を街の壁に大大的に飾り、それが話題になり、宣伝され、評判を呼び、個展は大成功をおさめ、ティエリーことMBWは一夜にして偉大な芸術家の仲間入りをはたしてしまう……

 これがほんとうの出来事の記録なのか俺にはわからない。くだらない連中がもてはやされ、情報資本主義の波にさらわれ、商品として流通させられることへの寓意的表現なのでは、とおもってしまう。そこで批評の重要性を噛みしめるのだが、現在では批評はいまそこにある「作品」に価値をあたえる、という役割しかない。商品流通の片棒担ぎでしかないのだ。どんな領域であれ、ほんとうに、いまの世の中には愚劣な表現しか存在しない。しかし、この映画自体が、そんな状況へのするどい批評になりえているのではないだろうか。ティエリーがほんとに成功した芸術家かどうかは、どうでもいい問題のように思える。



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