記憶――このキジャクなるもの

いか@氏が私の質問に答えてくれています。
http://blog.goo.ne.jp/ikagenki/e/7c6d648c9734db16ac1a96bcf74a3256

加藤周一がかつてテレビで脆弱をキジャクと発音した、と呉智英は嘲笑したが、それははたして本当のことなのか、と、かねがね疑問に思っていた。

呉の加藤批判はたしか『文藝』だったかで読んだ。記憶とはアテにならないなあ、とつくづく思うのは、俺は呉の一文は加藤周一の没後まもなく書かれたものだ、とつい最近まで思い込んでいたからだ。

自分の記事で確認してみると、件の文章を読んだのはどうやら2004年のようだ。このときまだ加藤周一は生きていた。
http://oudon.at.webry.info/200507/article_3.html

ついでに俺は、むかし読んだ加藤の『読書術』と呉の『読書家の新技術』は、内容が酷似していると勝手に思い込んでいた。すくなくとも一部分は似ていたと思うけれども、これもあいまいな記憶。

いか@氏とは因縁浅からぬ小谷野敦『頭の悪い日本語』に、この問題が取り上げられていると知り、読んでみた。「間違いじゃないのに編」という項目で、あきらかに加藤周一を擁護するかたちで、書かれている。発言は活字になっていないし、映像も現在は視聴がかなわないから、事実の確かめようがなく、なんらかの理由で「キジャク」と発言しなければならなくなったのかもしれない。

でも日本を代表する知性が、いくら心優しく誰かを気遣うためだったとしても、全国放送でわざわざ間違った言葉づかいをするだろうか?

小谷野ははっきり書かなかったけれど、呉の記憶違いということも充分考えられるのではないか。
で、小谷野敦は、呉が最初にこの件を指摘しているのは、別冊宝島『保守反動思想家に学ぶ本』だとのべている。

この本は80年代半ばに読んだ。たぶんこれによって糸圭秀実という名を知った。とうじの呉智英が西部邁をあまり評価してなかったり、スガが本多勝一を「時代錯誤ヒューマニスト」と罵倒しているのに、呉のほうはそれほどあからさまに本多を批判してなかったりした。そのころ呉がつねづね非難していた津村喬の本を近年になってスガが編集しているのは蓮実センセが褒めたからだろうけど、どうも呉とスガは仲がいいのか悪いのかわからない。立川談志と三遊亭円楽みたいな関係なのだろうか?
以上は、俺のキジャクな記憶を頼りに書いたもので、すべからく(すべての漢語的高級表現)アテにならない。

そしたらちょうど、いか@氏がこの本を所有してるらしいと知り、キジャクに関する呉智英の発言はいかなるものだったかと尋ねてみたのだ。

返答は、『学ぶ本』に該当する発言はみつからない、というものだった。だが呉の『賢者の誘惑』という本でふれられているとのこと。記事の画像を転載させていただく。
画像


コメント欄にも書いたのだが、なぜフランス語で会話してた加藤周一がとつぜんキジャクと言いださねばならないのだろうか? 解せない。
記憶とはあいまいなものだ。自分でははっきり覚えていると思っていても、まったく違っていたりする。呉の批判は公平なものではない、というのが俺の結論。

本日は最後までお読みくださり、ありがとうございます。
もし、お読みいただいている貴方が、悪の側に位置する人間であるならば、
滅ぼす正義をお許し下さい。

この記事へのコメント

小谷野敦
2015年09月28日 03:34
失礼しました。確認します。呉さんによると1972年のカイヨワとの対談だそうです。武智鉄二の伝記を書いて下さい。
2015年09月28日 08:52
匿名で失礼します。武智の伝記は小谷野さんがお書きになった方が面白くなると思います。

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