中ネタ集

さて、今月初めウェブリブログが大規模メンテナンスからリニューアルされて、ブログの体裁が勝手に変えられてしまったのみならず、凄まじく異常なシステム障害まで引き起こし、怖くて更新もできなんだ。じょじょに改善はされてるようだが、まだ扱いづらい。れいわ新選組のこと、不正選挙のこと、「いだてん」のことなど、書きたいことはいっぱいあるのだが、とりあえず落ち着くまで待とう。なので本日は試験的にフェイスブックから転載の中ネタ集を。

すでに上級旧石器時代の開始とともに人間の意識は人間をあらゆる他の生物に対して優位に立たせ、この優位はもう大分前から、もし人間が望みさえすれば、新しい種が進化しそうな生物学的な突然変異を示す人間や人間以外の動物を殺してしまうことで、地球上での生命の進化を止めることができるほど有力なものになっている。(アーノルド・トインビー『現代が受けている挑戦』吉田健一訳)

慈円「愚管抄」にえらいことが書いてある。
《崇峻天皇が馬子大臣に殺されておしまいになった事件で、馬子大臣に何の罪科も行われず、あたかも善いことをしたかのように沙汰やみになってしまったのは、どうしたわけであろうかと、昔の人もあやしんであれこれといっているようである。今の人もこのことについては理解しておかなければならない。日本の国では、今まで国王を殺すということはほとんどないことであった。また、そんなことがあってはならないと、かたく定められた国なのである。》《このことを深く考えてみると、その意味はつまるところつぎの二点にあると思われる。まずそれは、仏法によって王法を守ろうとすることのあらわれであり、仏法が日本に伝来したからには、仏法なしでは王法はありえないという道理を明らかにするものであって、重い道理を立てて軽い方を捨てるのだということ。この二つの道理をしっかりと表示したのがこの事件なのであった。》《馬子大臣が、仏法に帰依した大臣の模範であったことはあきらかである。ところが、そのような大臣を、少しも徳がないのにただ欽明天皇の御子だというだけで位におつきになった崇峻天皇が殺そうとなさったので、馬子大臣は仏法を信じた者の力によって、自分が殺される前に天皇を殺してしまったのである。それはまさしく、仏法伝来のうえは仏法を離れて王法はありえないという道理のあらわれであった。》(大隅和雄訳)
慈円は蘇我入鹿による山背大兄王弑逆は非難しているのだが、仏法を守るためなら殺人も肯定されるということか。
もし岩倉具視による孝明天皇暗殺の証拠が発見されても、ヒャクタ尚キチみたいな輩は低水準な詭弁を弄して正当化するんじゃないだろうか(天台座主を務めた慈円とヒャクタではあらゆる能力が違いすぎ、共通点はおそらく頭の毛がないことだけだろうが)。

五島勉『ノストラダムの大予言』読む。紹介されている詩篇は、みたかぎり、黙示録的な終末論に位置するものと思われるが、五島勉の解釈では人類滅亡の破滅論になってしまう。五島の本は70年代終末論ブームの火つけ役のようにいわれるけど、その前すでに梅原猛や立花隆も滅亡について語っており、60年代、今西錦司はダーウィン進化論批判と並行して人類滅亡論を説いていた。終末論の起源と人類滅亡論の起源を探る必要がある。

金光仁三郎『ユーラシアの創世神話』に興味深い指摘がある。ギリシャ神話のプロメテウスは、メソポタミア神話の水の神エアの変形だというのだ。エアは洪水から人間を救う。人類に火をあたえるプロメテウスは、しかし水の神の系譜に位置するという。

かくして、今日も正義は、私によって守られた。

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