哀悼 志村けん

志村けんさんが新型肺炎で亡くなった。惜しんでもあまりあり、残念でならず、悲しすぎる。
物心ついたときから、「8時だヨ!全員集合」に親しんできた。荒井注が脱退して、初登場した志村が、台車に寝そべって刀を振りまわしながら舞台を横切ってゆく場面に大笑いした覚えがあるけど、正確な記憶かどうかは定かでない。
驚かされたのは東村山音頭で、こんな崇高な芸術があるかと打ちのめされた。俺が芸術がわかるようになったのは、このときからだ。
だぶん加藤茶は、いかりや長介が無理矢理仕込んでボケ役につくりあげた人で、当人に笑いのセンスはなかったのではないか。くらべて志村は、笑いのために生まれてきたような真の芸術家だった。
このころ「全員集合」の公開生放送を見に行ったことがあって、昼間に渋谷公会堂裏の駐車場をのぞいたら志村がキャッチボールをしていた。その姿を見て歓喜に咽ぶ俺達を、公会堂の非常口から下着姿の高木ブーがじっと見下ろしていた。もっとも、その日のコントの内容は覚えていない(「国語算数理科社会」だったような気がする)。
のち一時期ひょうきん族に熱中したこともあったが、ドリフの大爆笑は欠かさず観ていたし、ひょうきん族にもしだいに飽きて、終盤には全員集合に回帰していた。
そのころ、ビートたけしはオールナイトニッポンで、志村がサウナで同性愛者にポコチンをいじられ、嫌いじゃないのでなすがままにさせていたら、イキそうになったとたんに扉が開いて他の客が入ってきたので、「何するんですか」と叫んであわてて手をふりほどいた瞬間、そのまま射精してしまい、すかさず痰を吐いて汁をまぶした、という話を紹介していた。
そのあと始まった「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」によって、探偵事務所を舞台にしたドラマ仕立てのコントや、おもしろビデオコーナーなど、志村は新たな笑いの境地を開拓したと思う。加藤と喧嘩し、事務所を追い出された志村が、気の弱そうな「けむらしん」、横浜銀蝿を模した学ランにリーゼントの「毛虫嵐」と名乗って加藤の元へ面接に訪れる話や、癌宣告された志村が屋台でヤケ酒をあおり、おでん屋に「オヤジ、俺ガンなんだよ」というと、親父が「あいよ」と、がんもどきを出すギャグがなぜか印象に残る。「だいじょうぶだ~ウォッウォッウェッ」という崇高なギャグもここから生まれた。「音楽もギャグも本物だけが生き残る」と題された山下達郎との対談が雑誌に掲載されたのもこのころだったと思う。
そして「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、ミュージカルレビューなど盛り込んだ笑いの様式を作りあげ、ついに志村はモノホンの崇高な芸術を確立する。わけても変なおじさんは崇高だった。
90年代に入ってから、自分がテレビを見なくなったので、志村からいつしか遠ざかった。2000年代に沢田研二と共演した舞台を観ているはずなのだが、久世光彦の作演出ははっきり駄作で、内容は覚えていない。ドリフ大爆笑での志村と沢田研二の鏡のコントは秀逸だっただけに、やっぱり志村はテレビが本領だっただろう。志村どうぶつ園ではアクの強さが影をひそめ、人柄の好さがにじみ出ていた。
コントをみただけでも、志村の演技力は本物だったが、かたくなに演技仕事を拒んで笑い一筋に生きる姿勢も素晴らしく、松本人志でさえ男前と評していた。そんな志村が高倉健さんからじきじきに映画出演を依頼され、たった一本だけ(ドリフターズの映画はあるが)出た作品「鉄道員」は観たことがない。しかし七十歳になって山田洋次監督の映画に主演に抜擢され、新たな分野に挑む直前に亡くなってしまうなんて、さみしすぎる。現在の志村なら、きっと円熟した人間味あふれる役柄をこなしたに違いない。不正選挙のキチガイ偽総理アベの無策で、赤木さんにつづいて殺されたのだと思うと無念でしかなく、怒りがこみあげる。これほどの喪失感は、古今亭志ん朝の死以来だ。
下の画像は数年前にツイッターで話題になったもの。よくみると、志村さんは新聞紙をわざと上下逆さに持って、裏の原発記事の見出しがはっきり画面に映るようにしているのだ。こんなさりげない反骨精神も好ましい。
ご冥福をお祈りいたします。
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