詩と箴言:東洋の言葉

火が消えるとき、それはまさに風に入る。
水が乾くとき、それはまさに風に入るのだ。風こそ実にこれら一切のものをとりこむ者であるからである。(ウパニシャッド)

年を重ねて、ますます自分の実存の「根」が東洋にあることを痛切に自覚する。
そこで東洋の詩をいつくか紹介してみよう。

まず朝鮮の僧侶、韓龍雲の詩。この人については白楽晴の評論で知り、読みたいと思ったがそのころ翻訳は金素雲『朝鮮詩集』の三篇しかなかった。その後『ニムの沈黙』が翻訳され、朝鮮詩集も金時鐘の新訳が出たが、やはり金素雲の訳は味わい深い。

 風のない空から 垂直の波紋を描いては静かに舞ひ散る桐の葉――、あれは誰の跫でせう。

 霖雨の霽れ間を 西風に吹き追はれる黒雲の崩れた隙間から ちらりとのぞいた蒼い空――、あれは誰の瞳でせう。

 花もない大木の 苔古りた肌のあたりに 仄かにこもるえいはれぬ香り――、あれは誰の息吹でせう。

 源を知る人もない遠い山あひから流れては 河床の小石轉ばすせせらぎの音――、あれは誰の歌聲でせう。

 蓮の踵で涯しない海を踏み 紅玉の掌で西空を撫で落日の粧ひ 遠茜――、あれは誰の詩なのでせう。

 燃えくづれ 燃えつきては またしても炎ゆらぐ 消ゆる日のない心の嘆き――、これは誰の夜を護る か細い灯でせう。

つづいて尹東柱の詩。これも金時鐘の訳が出たが、初読の伊吹郷訳がよい。

順伊(スニ)が去るという朝に せつない心でぼたん雪が舞い、悲しみのように 窓の外はるか広がる地図の上をおおう。部屋の中を見廻しても誰もいない。壁と天井が真っ白い。部屋の中まで雪が降るのか、ほんとうにおまえは失われた歴史のように飄然‘(ふらり)と去ってしまうのか、別れるまえに言っておくことがあったと便りに書いても おまえの行先を知らず どの街、どの村、どの屋根の下、おまえはおれの心にだけ残っているのか、おまえの小さな足跡に 雪がしきりと降り積もり後を追うすべもない。雪が解けたら 足跡ごとに花が咲くので 花のあわいに足跡を訊ねてゆけば 一年十二ヵ月 おれの心には とめどなく雪が降りつづくだろう。

ウマイヤ朝の女流詩人マイスーンの詩。「都市化の波にさらされながら、一方では古きよきベドウィンの精神を愛したウマイヤ朝に生きた人々の苦悶がよく歌われている」と関根謙司は記す(『アラブ文学史』)。

 風ゆらぐ庵の方が
  壮麗な宮殿よりも 私は好きだ
 袖なし服を着て 元気に動き廻る方が
  薄衣を着るよりも 私は好きだ
 わが庵の片端で パンのはじっこを食べる方が
  やわらかいパンを食べるより 私は好きだ
 谷間をぬってやってくる風のうねりの方が
  タンバリンを打つ音より 私は好きだ
 私以外の訪問者に吠え声をあげる犬の方が
  慣れなれしい猫より 私は好きだ
 堅い輿を従えたラクダの方が
  俊足のラバより 私は好きだ
 かよわいわが一族の高貴なる男の方が
  がっちりした無骨者より 私は好きだ

それからペルシャの神秘主義詩人ルーミーの詩。

 聞け、葦笛がいかに語るか
 別れの悲しみをいかに訴えるか
 私が葦原から切り離されて以来
 わが悲しい音色で男も女もむせび泣く
 私はこの切ない想いを打ち明けるため
 別れで胸を千々に裂かれた人に逢いたい
 己が本源より遠ざかる者はみな
 合一の時を慕いて還ろうとする
 どの集いにても私は哀しい音色を奏で
 不幸な人と交わった
 だれもが己が思いでわが友となったが
 わが心の秘密を探った者はない
 わが秘密は哀しい音色に秘められているが
 目も耳もそれに気付く光がない
 体は魂から、魂は体から隠されていないが
 だれも魂を視ることは許されない
 葦笛のこの叫びは火だ、風ではない
 この火を持たぬ者は消え失せよ
 葦笛に燃えついたのは愛の焔
 酒を泡立せるのは愛の情熱
 葦笛は仲間から離された者の真の友
 その音色はわれらの心の帳を引裂く
 葦笛の如き毒消しをだれが見たか
 葦笛の如き同情者と思慕者をだれが見たか
 葦笛は血に塗れた道の話を語り
 マジュヌーンの恋の物語を語る
 意識の秘密を識るのは意識なき者のみ
 舌がもらす言葉の買い手はただ耳のみ
 われらが日々は悲しみのうちに早く過ぎ
 苦悶をともなう日々であった
 日々が過ぎるなら過ぎよ、かまわない
 比類なく清い方よ、留まり給え
 魚にあらざる者はみな水に飽き
 日々の糧なき者には日は長い
 未熟者には成熟者の状態は理解できない
 そこで言葉をかいつまむ、さらば

最後に梁塵秘抄から。

 我を頼めて来ぬ男
 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ
 霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ
 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け

 頭(かうべ)に遊ぶは頭虱
 項(をなじ)の窪をぞ極めて食ふ
 櫛の歯より天降(あまくだ)る
 麻小笥(をごけ)の蓋にて命(めい)終る

 鵜飼はいとをしや
 万劫年経る亀殺し 又鵜の頸を結ひ
 現世は斯くてもありぬべし 後生我が身を如何にせん

"詩と箴言:東洋の言葉" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント